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  <title>楕円球コラム　「groundママになりたい」</title>
  <subtitle>新聞記者本橋由紀氏が、記者の目、女性の目、元マネージャーの目、そして母の目から、ラグビーのすばらしさを描きます。</subtitle>
  <updated>2006-10-13T18:37:05+09:00</updated>
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    <name>WASEDA CLUB</name>
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    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/1/488</id>
    <title>Vol.59 「悩め、悩め」</title>
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    <updated>2008-07-01T08:32:00+09:00</updated>
    <published>2008-07-01T08:35:56+09:00</published>
    <summary>　ああ、おんなじだ。そう思った。&#13;
　息子の所属するサッカー部が、区大会で散った。春の大会では優勝し、ブロック大会に進んだのだが、今回は決勝トーナメントにも進めなかった。　試合が終り、着替えも済ませて帰る前に、３年生が一言ずつ話したという。「勝利に貢献できなかった。申し訳ない」＝最後まで先発メンバーに入れなかった先輩。「２年のせいで負けたんじゃない。３年生だ」＝一番上手で、チームをずっと引っ張っていた先輩。　初めての体験に、息子は無力感に襲われたようだ。「試合に出られなかった先輩もいたのに…」&#13;
　一夜明けて、「（試合前日の）調整練習が、（現３年生のチームとしては）最後の練習になっちゃったよ」とポツリ。「どうやったら勝てるのか、ずっと考えてたんだけど、蹴ってくるチームにはこういうのってどうかなあ」&#13;
　突然、シーズンが終わってしまった時の、脱力感、喪失感。次はないのだ。「ここで負けるはずじゃなかったのに」という思いがぐるぐる回るあの感覚。私も何度か味わったことがある。&#13;
　悩め、悩め、と思った。そんな風に考え込ませてくれる顧問の先生には本当に感謝してしまう。いい指導者に恵まれた。折しも期末試験の前ではあるが、この大会で経験したことをしっかり身につけることの方が先だ。&#13;
　同じ日、息子の友人（サッカー部ではない）の母は塾の面談で「部活に出ていて、来るのが遅い」と叱られたそうだ。「大きな荷物を持ってきて、まったく、部活のために中学に行ってるんですか？」と言われたらしい。我が家ももちろん、「部活だけのため」に学校に行かせているわけではないが、「勉強だけのため」に学校に行かせているつもりはない。でも、部活から学べるもの、得られるものの大きさを大切にしたい。&#13;
　昨年夏、夕刊編集部に所属していた時、「あいたくて　07夏　昭和の主人公たち」という企画で、「アタックNO.1」の鮎原こずえを選んだ。テーマは部活。07年８月１５日の毎日新聞夕刊にその記事は載った。そのことは昨年もこのコラムで触れた。&#13;
　鮎原のこんなセリフも持ち出した。　＜がんばればなんでもできる……その信念が必要なのよ＞　原作者の浦野千賀子さんは取材の時、「あのころ子どもは部活で育った」と話していた。　そして、私が「鮎原」を選んだのは彼女が部活で、チームの仲間の輪の中で成長したことを思い出したから。浦野さんがアタックNO.1に込めたテーマは「友情」だった。&#13;
　部活をテーマにしている大学の研究者は「部活って10代の時期のハイライト。異年齢の子どもが組織の動かし方まで経験できる。これは将来、日本の社会にも役立つと思う」と熱く語っていた。「そうですよね」と私も力強くうなづいた記憶がある。&#13;
　元全日本チームのセッター、中田久美さんはこう言った。「苦しいことは嫌いとか、一生懸命頑張るのは格好悪いという空気があるけれど、最終的には根性は大事。子どもの熱いものを引き出し、チームワークや人間関係をはぐくむ指導者がいるかどうかですよね」　　私はあの記事で鮎原の＜成績は中ぐらいにさがったわ。でもわたしは決して後悔していないわ。バレーボールにうちこんでいるいまの生活は学生時代のもっとも充実したひとときのように思えるし、あとでふりかえってみたとき、最高の時代をすごしたという思い出になるような気がするの＞という言葉を引用し、「中高生活６年間。わずかなようだが、かけがえのない時間である」と締めた。&#13;
　今回、息子の経験を母として眺めながら、「部活に打ち込める時間は本当にわずかなのだ。だからこそ、今を大事にしてほしい」、その思いをすべての部活に打ち込んでいる中高生に送りたい。</summary>
    <content type="text">　ああ、おんなじだ。そう思った。&#13;
　息子の所属するサッカー部が、区大会で散った。春の大会では優勝し、ブロック大会に進んだのだが、今回は決勝トーナメントにも進めなかった。　試合が終り、着替えも済ませて帰る前に、３年生が一言ずつ話したという。「勝利に貢献できなかった。申し訳ない」＝最後まで先発メンバーに入れなかった先輩。「２年のせいで負けたんじゃない。３年生だ」＝一番上手で、チームをずっと引っ張っていた先輩。　初めての体験に、息子は無力感に襲われたようだ。「試合に出られなかった先輩もいたのに…」&#13;
　一夜明けて、「（試合前日の）調整練習が、（現３年生のチームとしては）最後の練習になっちゃったよ」とポツリ。「どうやったら勝てるのか、ずっと考えてたんだけど、蹴ってくるチームにはこういうのってどうかなあ」&#13;
　突然、シーズンが終わってしまった時の、脱力感、喪失感。次はないのだ。「ここで負けるはずじゃなかったのに」という思いがぐるぐる回るあの感覚。私も何度か味わったことがある。&#13;
　悩め、悩め、と思った。そんな風に考え込ませてくれる顧問の先生には本当に感謝してしまう。いい指導者に恵まれた。折しも期末試験の前ではあるが、この大会で経験したことをしっかり身につけることの方が先だ。&#13;
　同じ日、息子の友人（サッカー部ではない）の母は塾の面談で「部活に出ていて、来るのが遅い」と叱られたそうだ。「大きな荷物を持ってきて、まったく、部活のために中学に行ってるんですか？」と言われたらしい。我が家ももちろん、「部活だけのため」に学校に行かせているわけではないが、「勉強だけのため」に学校に行かせているつもりはない。でも、部活から学べるもの、得られるものの大きさを大切にしたい。&#13;
　昨年夏、夕刊編集部に所属していた時、「あいたくて　07夏　昭和の主人公たち」という企画で、「アタックNO.1」の鮎原こずえを選んだ。テーマは部活。07年８月１５日の毎日新聞夕刊にその記事は載った。そのことは昨年もこのコラムで触れた。&#13;
　鮎原のこんなセリフも持ち出した。　＜がんばればなんでもできる……その信念が必要なのよ＞　原作者の浦野千賀子さんは取材の時、「あのころ子どもは部活で育った」と話していた。　そして、私が「鮎原」を選んだのは彼女が部活で、チームの仲間の輪の中で成長したことを思い出したから。浦野さんがアタックNO.1に込めたテーマは「友情」だった。&#13;
　部活をテーマにしている大学の研究者は「部活って10代の時期のハイライト。異年齢の子どもが組織の動かし方まで経験できる。これは将来、日本の社会にも役立つと思う」と熱く語っていた。「そうですよね」と私も力強くうなづいた記憶がある。&#13;
　元全日本チームのセッター、中田久美さんはこう言った。「苦しいことは嫌いとか、一生懸命頑張るのは格好悪いという空気があるけれど、最終的には根性は大事。子どもの熱いものを引き出し、チームワークや人間関係をはぐくむ指導者がいるかどうかですよね」　　私はあの記事で鮎原の＜成績は中ぐらいにさがったわ。でもわたしは決して後悔していないわ。バレーボールにうちこんでいるいまの生活は学生時代のもっとも充実したひとときのように思えるし、あとでふりかえってみたとき、最高の時代をすごしたという思い出になるような気がするの＞という言葉を引用し、「中高生活６年間。わずかなようだが、かけがえのない時間である」と締めた。&#13;
　今回、息子の経験を母として眺めながら、「部活に打ち込める時間は本当にわずかなのだ。だからこそ、今を大事にしてほしい」、その思いをすべての部活に打ち込んでいる中高生に送りたい。</content>
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    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/1/208</id>
    <title>Vol.37「52％」</title>
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      <name>WASEDA CLUB</name>
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    <updated>2006-10-13T18:59:00+09:00</updated>
    <published>2006-10-13T18:59:57+09:00</published>
    <summary>「52％」・・・半分よりちょっと多いことを示すこの数字。先日、知り合いの大学病院の医師から聞いた。この病院でのお産に占める帝王切開の割合である。私にとっては驚愕の数字だった。「自然に産みたい」といった本が増えたり、バースコーディネーターなる職業までできて、お産を自分のものにという女性たちが増えている、はずだと信じていたから。確か、秋篠宮妃は「皇族で初めて」の帝王切開。部分前置胎盤だった妃のように、自然出産のリスクが高い場合に、帝王切開だったのではなかったか。&#13;
が、その医師はさらりと言った。「10分で済むし、訴えられないし・・・」10分は大げさにしても、切って出すだけなら、それほど時間はかかるまい。そりゃ、訴えられるリスクも低いだろう。病院側の都合（としか思えないような状況）で陣痛促進剤が使われ、お産が進んだ結果、悲惨な状況を生んだケースはいくつもある。だから、「人為的」に増えた「帝王切開」が相当あるのだろう。うがってみれば、自然分娩より、帝王切開の方が産後の入院期間は長い。ということは、病院ももうかるってことですかぁ？ と心の中でちょっぴり毒づいた。&#13;
でも帝王切開をすると二人目はともかく、三人目を産むのは難しいとかつて、聞いたことがあったような。そこで、たずねると「三人目だって問題ない」ときっぱりである。&#13;
産科医のなり手が少ないのも、一番厳しい職場なのに訴えられて、裁判に負けでもしたら目も当てられないから、とも聞く。ある小児科の先生は「お産は人生の中で一番危険。それを、産科の実習でつくづく感じたから小児科医になったんだよ」と冗談交じりに話していた。&#13;
でも、かの先生のおっしゃることは、理屈はともかく私には抵抗がある。幸いにも自然分娩で2人の子どもを産み、基本的には大きな問題もなかった（下の子は34週の早産だった！）からでしょ、と言われれば、「はい、確かに」と答えるしかないが、どうもすっきりしない。&#13;
いいんだろうか、それで。「いのち」ってそういうものだろうか。&#13;
かつて、人は、家で生まれ家で死んでいた。そのころはそれで命を落とした赤ちゃんはたくさんいた。母親も死んでいた。科学技術が、医療が進歩し、昔だったらこの世に生を受けることがなかったかもしれない存在が、立派に生まれ育っている。その点、科学の進歩による恩恵を感じる。おりしも、タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さんが米国の女性に代理母を頼んで産んでもらった双子の子どもたちをめぐる裁判で、東京高裁が「夫妻の子であると確認される」と判断した。がんで子宮を摘出せざるを得なかった女性が母親になれる時代なのだ。すごいことだ。とはいえ、光には影がある。そのために私たちは何かをどれだけか失っていると思ってしまうのだ。&#13;
科学技術が進んだからこそ、我々は安全だが「自然に産める」「自然に生まれる」手段も得ているはずではないか。&#13;
数年前、在宅で末期がん患者の終末医療を手がける甲府市の女医、内藤いづみさんを取材した時、自宅で生まれる赤ちゃんと自宅でなくなる人の割合は両方とも１％だった。内藤さんは「家から死が遠くなったこと」を案じていた。「死ぬっていうのは、最後まで生きることなのよ」家で家族に囲まれながら逝く人たちの写真を見ると、その顔は実に穏やかで、なんだか幸せそうだった。「これから３時間後に眠るように、亡くなったの」と聞いても違和感がなかった。&#13;
一方で、私を育ててくれた祖母は、病院でおそらく早朝に一人で亡くなった。連絡を受けて駆けつけたのが朝８時過ぎ。医師は白々しく人工呼吸なんぞをしていたが、すでにからだは冷たかった。気の毒なことをした。内藤先生にお目にかかったのは祖母が亡くなってから、ずいぶんたっていたが、私は当時の無知を悔やんだ。&#13;
病院がなくては困るし、医者にも頼る。助けてほしいときには助けてほしい。けれど、医者は全知全能の神ではない。健康に生まれるときも静かに死ぬときも「病院主導」でいいのだろうか。どこかが違うのではないか。&#13;
｢だって、人は生き物で、いつか死ぬのだから、生きていること自体がとても貴重なんです。命のはかなさやいとおしさが忘れられていることも、少子化と結びついていると思います。そういう意味では、社会の変革が必要なのかもしれません｣少子化について、聖路加国際病院の細谷亮太小児科部長を取材した際、こう話していたことを思い出す。&#13;
そして願っている。52％という数字がこれ以上増えませんようにと。</summary>
    <content type="text">「52％」・・・半分よりちょっと多いことを示すこの数字。先日、知り合いの大学病院の医師から聞いた。この病院でのお産に占める帝王切開の割合である。私にとっては驚愕の数字だった。「自然に産みたい」といった本が増えたり、バースコーディネーターなる職業までできて、お産を自分のものにという女性たちが増えている、はずだと信じていたから。確か、秋篠宮妃は「皇族で初めて」の帝王切開。部分前置胎盤だった妃のように、自然出産のリスクが高い場合に、帝王切開だったのではなかったか。&#13;
が、その医師はさらりと言った。「10分で済むし、訴えられないし・・・」10分は大げさにしても、切って出すだけなら、それほど時間はかかるまい。そりゃ、訴えられるリスクも低いだろう。病院側の都合（としか思えないような状況）で陣痛促進剤が使われ、お産が進んだ結果、悲惨な状況を生んだケースはいくつもある。だから、「人為的」に増えた「帝王切開」が相当あるのだろう。うがってみれば、自然分娩より、帝王切開の方が産後の入院期間は長い。ということは、病院ももうかるってことですかぁ？ と心の中でちょっぴり毒づいた。&#13;
でも帝王切開をすると二人目はともかく、三人目を産むのは難しいとかつて、聞いたことがあったような。そこで、たずねると「三人目だって問題ない」ときっぱりである。&#13;
産科医のなり手が少ないのも、一番厳しい職場なのに訴えられて、裁判に負けでもしたら目も当てられないから、とも聞く。ある小児科の先生は「お産は人生の中で一番危険。それを、産科の実習でつくづく感じたから小児科医になったんだよ」と冗談交じりに話していた。&#13;
でも、かの先生のおっしゃることは、理屈はともかく私には抵抗がある。幸いにも自然分娩で2人の子どもを産み、基本的には大きな問題もなかった（下の子は34週の早産だった！）からでしょ、と言われれば、「はい、確かに」と答えるしかないが、どうもすっきりしない。&#13;
いいんだろうか、それで。「いのち」ってそういうものだろうか。&#13;
かつて、人は、家で生まれ家で死んでいた。そのころはそれで命を落とした赤ちゃんはたくさんいた。母親も死んでいた。科学技術が、医療が進歩し、昔だったらこの世に生を受けることがなかったかもしれない存在が、立派に生まれ育っている。その点、科学の進歩による恩恵を感じる。おりしも、タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さんが米国の女性に代理母を頼んで産んでもらった双子の子どもたちをめぐる裁判で、東京高裁が「夫妻の子であると確認される」と判断した。がんで子宮を摘出せざるを得なかった女性が母親になれる時代なのだ。すごいことだ。とはいえ、光には影がある。そのために私たちは何かをどれだけか失っていると思ってしまうのだ。&#13;
科学技術が進んだからこそ、我々は安全だが「自然に産める」「自然に生まれる」手段も得ているはずではないか。&#13;
数年前、在宅で末期がん患者の終末医療を手がける甲府市の女医、内藤いづみさんを取材した時、自宅で生まれる赤ちゃんと自宅でなくなる人の割合は両方とも１％だった。内藤さんは「家から死が遠くなったこと」を案じていた。「死ぬっていうのは、最後まで生きることなのよ」家で家族に囲まれながら逝く人たちの写真を見ると、その顔は実に穏やかで、なんだか幸せそうだった。「これから３時間後に眠るように、亡くなったの」と聞いても違和感がなかった。&#13;
一方で、私を育ててくれた祖母は、病院でおそらく早朝に一人で亡くなった。連絡を受けて駆けつけたのが朝８時過ぎ。医師は白々しく人工呼吸なんぞをしていたが、すでにからだは冷たかった。気の毒なことをした。内藤先生にお目にかかったのは祖母が亡くなってから、ずいぶんたっていたが、私は当時の無知を悔やんだ。&#13;
病院がなくては困るし、医者にも頼る。助けてほしいときには助けてほしい。けれど、医者は全知全能の神ではない。健康に生まれるときも静かに死ぬときも「病院主導」でいいのだろうか。どこかが違うのではないか。&#13;
｢だって、人は生き物で、いつか死ぬのだから、生きていること自体がとても貴重なんです。命のはかなさやいとおしさが忘れられていることも、少子化と結びついていると思います。そういう意味では、社会の変革が必要なのかもしれません｣少子化について、聖路加国際病院の細谷亮太小児科部長を取材した際、こう話していたことを思い出す。&#13;
そして願っている。52％という数字がこれ以上増えませんようにと。</content>
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