<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
  <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15</id>
  <title>楕円球コラム　「スポーツジャーナル」</title>
  <subtitle>スポーツジャーナリスト松瀬学氏が、現代スポーツの現状・問題・構造などの視点から早稲田ラグビー、ワセダクラブを語ります。</subtitle>
  <updated>2006-10-16T11:23:12+09:00</updated>
  <link rel="self" href="http://www.wasedaclub.com/files/blog/rss/RSS_BLOG_15.rdf"/>
  <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_my_top/blog_id=15"/>
  <author>
    <name>早川 晶子</name>
  </author>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/475</id>
    <title>Vol.60 「娘」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=475"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2008-06-11T09:01:00+09:00</updated>
    <published>2008-06-11T09:04:29+09:00</published>
    <summary>　あなたは荒木絵里香さんをご存知か。&#13;
　北京五輪出場を決めた女子バレーボール『柳本ジャパン』のセンターである。通称「エリカ」、あるいは「鉄腕エリカ」。身長186センチ、体重80キロ前後の骨太の大器なのだった。&#13;
　初めて１対１のインタビューをしたのが、３年前の初夏だった。神戸の遠征先。ホテルのロビーで取材を終え、雑談を楽しんでいた。黄色のメモ帳の表紙にあった楕円球の絵を見つけられ、「あれっ。ラグビーを好きなんですか」と聞かれた。「学生時代、ラグビーをしていました」「うちの父がラグビーを大好きなんです。大学でもプレーしていたそうです」「へえ～。もし迷惑でなければ、どこですか」「ワ・セ・ダ」　おどろきモモの木、サンショウの木。詳しく聞けば、早稲田ラグビー部の筆者の２つ先輩の荒木さんのことだった。昭和54（1979）年卒業の、あのロックの荒木さんの娘さん。奇遇である。&#13;
　当時の３年生と１年生は天国と地獄だった。理不尽な「しぼ●」は主に３年生が笛を吹いていた。だから、こわい。でも荒木さんは仏のようにやさしかった。東伏見の寮で同室だったこともある。つまり荒木さんが番長で、筆者が店子。ずいぶん世話になった。　その神様の娘さんである。時々バレーボールの取材もするけれど、自称エリカさんのことになると、どうしても筆が鈍るのだった。つい応援してしまう。　なんだかうれしくて、GODIVAのチョコレートを差し入れしたこともある。　じつはエリカさんの楽しみのひとつが、練習や試合後の移動バスのなかでのチョコレートのひと粒なのである。一生懸命プレーした自身へのご褒美という。「糖分補給です」。とっても幸せそうな顔をする。　エリカさんは４年前のアテネ五輪では最後に代表メンバーから漏れた。だからだろう、いつも「危機感」を持って練習に励んできた。「まだ通過点」が口ぐせだ。　23歳のオトメが言う。「これまで何回もメンバーから落とされていますから。コートの６人、チームの12人に選ばれる大事さ、貴重さがよくわかります。フツーに努力していても、そこには立てないのです」　努力は実り、いまや全日本の定位置を確保した。跳んで止めて、跳んで強打を放つ。決まれば、ぐるぐるコートを駆け回るのだ。「まだまだ、です。自分が下手くそだというのは一番わかっていますから」　う、う、泣けてくる。この健気さはなんなのだ。最近、雑誌の仕事でインタビューをした。バレーボールを始めたのが小学校５年生だと知った。　小学校の卒業式。式典の『よびかけ』で、卒業生はそれぞれ夢を語ることになった。「その時点で180センチあった」と照れる。じつはエリカさんは担任の先生から、話す言葉を指示されていた。　素直なエリカさんは立ち上がり、その通り、大声を張り上げた。「わたしは～、将来、バレーボールでオリンピックにいきたいです」&#13;
　夢が実現することになる。　ビッグ・ファミリーである。身長は父親の博和先輩が186センチ、母親が167センチ、弟が188センチ。そしてエリカさんが186センチ。　エリカさんに父親のことを聞いてみた。「とってもやさしい人です。おこられたことは一度もないんです。あまりしゃべらない。いい人です」　自分の父の現役時代のことを聞かれたので、地味ながら、玄人好みするロックだったと説明した。痛いプレーを嫌がらないチームプレーヤーだった、と。「あれ。わたしと似ている」　やはり血なのだ。コートのエリカさんがふと、ラインアウトにならぶ荒木さんの姿にみえるときがある。　メダルに届くかどうか知らないけれど、北京五輪では荒木恵里香さんのプレーをのぞきにいこっと。たぶん、先輩の荒木さんもスタンドにいるはずだ。</summary>
    <content type="text">　あなたは荒木絵里香さんをご存知か。&#13;
　北京五輪出場を決めた女子バレーボール『柳本ジャパン』のセンターである。通称「エリカ」、あるいは「鉄腕エリカ」。身長186センチ、体重80キロ前後の骨太の大器なのだった。&#13;
　初めて１対１のインタビューをしたのが、３年前の初夏だった。神戸の遠征先。ホテルのロビーで取材を終え、雑談を楽しんでいた。黄色のメモ帳の表紙にあった楕円球の絵を見つけられ、「あれっ。ラグビーを好きなんですか」と聞かれた。「学生時代、ラグビーをしていました」「うちの父がラグビーを大好きなんです。大学でもプレーしていたそうです」「へえ～。もし迷惑でなければ、どこですか」「ワ・セ・ダ」　おどろきモモの木、サンショウの木。詳しく聞けば、早稲田ラグビー部の筆者の２つ先輩の荒木さんのことだった。昭和54（1979）年卒業の、あのロックの荒木さんの娘さん。奇遇である。&#13;
　当時の３年生と１年生は天国と地獄だった。理不尽な「しぼ●」は主に３年生が笛を吹いていた。だから、こわい。でも荒木さんは仏のようにやさしかった。東伏見の寮で同室だったこともある。つまり荒木さんが番長で、筆者が店子。ずいぶん世話になった。　その神様の娘さんである。時々バレーボールの取材もするけれど、自称エリカさんのことになると、どうしても筆が鈍るのだった。つい応援してしまう。　なんだかうれしくて、GODIVAのチョコレートを差し入れしたこともある。　じつはエリカさんの楽しみのひとつが、練習や試合後の移動バスのなかでのチョコレートのひと粒なのである。一生懸命プレーした自身へのご褒美という。「糖分補給です」。とっても幸せそうな顔をする。　エリカさんは４年前のアテネ五輪では最後に代表メンバーから漏れた。だからだろう、いつも「危機感」を持って練習に励んできた。「まだ通過点」が口ぐせだ。　23歳のオトメが言う。「これまで何回もメンバーから落とされていますから。コートの６人、チームの12人に選ばれる大事さ、貴重さがよくわかります。フツーに努力していても、そこには立てないのです」　努力は実り、いまや全日本の定位置を確保した。跳んで止めて、跳んで強打を放つ。決まれば、ぐるぐるコートを駆け回るのだ。「まだまだ、です。自分が下手くそだというのは一番わかっていますから」　う、う、泣けてくる。この健気さはなんなのだ。最近、雑誌の仕事でインタビューをした。バレーボールを始めたのが小学校５年生だと知った。　小学校の卒業式。式典の『よびかけ』で、卒業生はそれぞれ夢を語ることになった。「その時点で180センチあった」と照れる。じつはエリカさんは担任の先生から、話す言葉を指示されていた。　素直なエリカさんは立ち上がり、その通り、大声を張り上げた。「わたしは～、将来、バレーボールでオリンピックにいきたいです」&#13;
　夢が実現することになる。　ビッグ・ファミリーである。身長は父親の博和先輩が186センチ、母親が167センチ、弟が188センチ。そしてエリカさんが186センチ。　エリカさんに父親のことを聞いてみた。「とってもやさしい人です。おこられたことは一度もないんです。あまりしゃべらない。いい人です」　自分の父の現役時代のことを聞かれたので、地味ながら、玄人好みするロックだったと説明した。痛いプレーを嫌がらないチームプレーヤーだった、と。「あれ。わたしと似ている」　やはり血なのだ。コートのエリカさんがふと、ラインアウトにならぶ荒木さんの姿にみえるときがある。　メダルに届くかどうか知らないけれど、北京五輪では荒木恵里香さんのプレーをのぞきにいこっと。たぶん、先輩の荒木さんもスタンドにいるはずだ。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/462</id>
    <title>Vol.59 「芝」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=462"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2008-05-12T11:19:00+09:00</updated>
    <published>2008-05-12T11:20:06+09:00</published>
    <summary>　みどりの芝生が目に痛い。&#13;
　太陽の陽射しを浴びる芝生は絨毯みたいにふわふわしている。若葉の匂いのする薫風が、さぁと吹き過ぎた。&#13;
　５月GWの最後の日。ちょうど半年ぶりに釜利谷の関東学院大グラウンドをぶらりとたずねた。グラウンド隅の灰色のブロックに春口廣さんと並んで腰掛ける。&#13;
「このグラウンドってさ、おれにとっては、ま、なんだな、ふるさとと一緒なんだ。芝生って生きているんだよね。それを30年かけてつくり上げてきたんだ…」&#13;
　ご存知、春口さんはこの半年、辛酸をなめてきた。昨年11月に部員２人が大麻取締法違反で逮捕され、さらに12人の大麻吸引（不起訴）が発覚した。34年間チームを率いてきた春口さんは辞任し、４月の練習再開後もグラウンドに一切、顔を出してはいなかった。　だから、この日も練習が終わってしばらく経って、グラウンドで落ち合ったのだった。いわゆるご機嫌伺いである。いろんなことを話したけれど、監督を辞めたからだろう、春口さんは穏やかな顔になっていた。　でも眉間のしわが増えていた。グラウンドを見つめる。なぜ悲しい目をしているのだろう。&#13;
「ま。俺の夢は終わったのよ。これからは新しい夢探しだな」&#13;
　たぶん関東学院大はちがうチームに変ぼうしようとしている。乱暴な言い方をすれば、「春口監督主導」から「選手主体」に変えることで再建を進めようとしている。桜井勝則新監督（リコー）はフルタイムではない。是非はともかく、つまりはフツーの大学のラグビー部に戻ろうとしている。&#13;
　チームの再建に必要なものといえば、「パッション」と「ミッション」「アクション」だろう。これまでラグビー部をほったらかしてきた大学当局が乗り出し、アクションはいろいろと打ち出してきたようだ。　ではパッション、つまり情熱はどうか。熱意、精神である。じつはこれが一番大事だろう。よそ者がとやかく言えるわけがなく、ここは春口さんの言葉に耳を傾けた。&#13;
　４月１日、練習再開の日のことである。現場にいかなかった春口さんはその日の様子をあとで聞いた。５カ月ぶりの練習がタッチフットだった。笑顔があふれたという。　それが寂しかった、シンジラレナカッタというのだ。芝生のグランドはいわば武道家にとっての道場みたいなものである。ようやくそこに戻ることができた。さあ練習ができる。感謝するなら、ちがう練習再開のやり方があるのではないか、と思ったのだろう。&#13;
　では、春口さんなら、と水を向ける。「俺なら、一日、草刈りとか、そうじだな」&#13;
　まあ、そういうことなのだろう。春口イズムの肝はラグビーに対する姿勢だった。グラウンドや仲間に感謝し、ラグビーができる幸せを実感する。ラグビーは一人ではできないのだから、とも付け足した。&#13;
　私事ながら、じつは修猷館高校時代のラグビー部の恩師が偶然にも釜利谷を訪ねた日、天国に召された。守田基定という名物先生だった。高校ラグビー界ではちょっとは名が知られた方だった。たしか高校日本代表の団長も務められた。　高校時代、いつも守田先生はだれよりも早くグラウンドに出て、草むしりをしていた。夏のかんかん照りの日は麦わら帽子をかぶり、雨の日には泥んこになりながら草を抜いていた。とくに技術的なことは教えてもらった記憶はない。でも不思議なもので、先生が草むしりをしているグラウンドだから、ぼくらは一生懸命練習しないといけない、と思っていたのだった。&#13;
　数年前、帰郷した際、修猷館をのぞいたことがある。すると、定年を過ぎた守田先生はだれもいないグラウンドの隅でひとり草むしりをしていた。あのとき80歳ごろか。&#13;
「ああ。先生は何十年も草むしりをずっとしていたのか」。&#13;
　そう思うと、なぜか、感激したのだった。ラグビーを愛するって、そんなことではないのだろうか。</summary>
    <content type="text">　みどりの芝生が目に痛い。&#13;
　太陽の陽射しを浴びる芝生は絨毯みたいにふわふわしている。若葉の匂いのする薫風が、さぁと吹き過ぎた。&#13;
　５月GWの最後の日。ちょうど半年ぶりに釜利谷の関東学院大グラウンドをぶらりとたずねた。グラウンド隅の灰色のブロックに春口廣さんと並んで腰掛ける。&#13;
「このグラウンドってさ、おれにとっては、ま、なんだな、ふるさとと一緒なんだ。芝生って生きているんだよね。それを30年かけてつくり上げてきたんだ…」&#13;
　ご存知、春口さんはこの半年、辛酸をなめてきた。昨年11月に部員２人が大麻取締法違反で逮捕され、さらに12人の大麻吸引（不起訴）が発覚した。34年間チームを率いてきた春口さんは辞任し、４月の練習再開後もグラウンドに一切、顔を出してはいなかった。　だから、この日も練習が終わってしばらく経って、グラウンドで落ち合ったのだった。いわゆるご機嫌伺いである。いろんなことを話したけれど、監督を辞めたからだろう、春口さんは穏やかな顔になっていた。　でも眉間のしわが増えていた。グラウンドを見つめる。なぜ悲しい目をしているのだろう。&#13;
「ま。俺の夢は終わったのよ。これからは新しい夢探しだな」&#13;
　たぶん関東学院大はちがうチームに変ぼうしようとしている。乱暴な言い方をすれば、「春口監督主導」から「選手主体」に変えることで再建を進めようとしている。桜井勝則新監督（リコー）はフルタイムではない。是非はともかく、つまりはフツーの大学のラグビー部に戻ろうとしている。&#13;
　チームの再建に必要なものといえば、「パッション」と「ミッション」「アクション」だろう。これまでラグビー部をほったらかしてきた大学当局が乗り出し、アクションはいろいろと打ち出してきたようだ。　ではパッション、つまり情熱はどうか。熱意、精神である。じつはこれが一番大事だろう。よそ者がとやかく言えるわけがなく、ここは春口さんの言葉に耳を傾けた。&#13;
　４月１日、練習再開の日のことである。現場にいかなかった春口さんはその日の様子をあとで聞いた。５カ月ぶりの練習がタッチフットだった。笑顔があふれたという。　それが寂しかった、シンジラレナカッタというのだ。芝生のグランドはいわば武道家にとっての道場みたいなものである。ようやくそこに戻ることができた。さあ練習ができる。感謝するなら、ちがう練習再開のやり方があるのではないか、と思ったのだろう。&#13;
　では、春口さんなら、と水を向ける。「俺なら、一日、草刈りとか、そうじだな」&#13;
　まあ、そういうことなのだろう。春口イズムの肝はラグビーに対する姿勢だった。グラウンドや仲間に感謝し、ラグビーができる幸せを実感する。ラグビーは一人ではできないのだから、とも付け足した。&#13;
　私事ながら、じつは修猷館高校時代のラグビー部の恩師が偶然にも釜利谷を訪ねた日、天国に召された。守田基定という名物先生だった。高校ラグビー界ではちょっとは名が知られた方だった。たしか高校日本代表の団長も務められた。　高校時代、いつも守田先生はだれよりも早くグラウンドに出て、草むしりをしていた。夏のかんかん照りの日は麦わら帽子をかぶり、雨の日には泥んこになりながら草を抜いていた。とくに技術的なことは教えてもらった記憶はない。でも不思議なもので、先生が草むしりをしているグラウンドだから、ぼくらは一生懸命練習しないといけない、と思っていたのだった。&#13;
　数年前、帰郷した際、修猷館をのぞいたことがある。すると、定年を過ぎた守田先生はだれもいないグラウンドの隅でひとり草むしりをしていた。あのとき80歳ごろか。&#13;
「ああ。先生は何十年も草むしりをずっとしていたのか」。&#13;
　そう思うと、なぜか、感激したのだった。ラグビーを愛するって、そんなことではないのだろうか。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/448</id>
    <title>Vol.58 「政」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=448"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2008-04-16T13:45:00+09:00</updated>
    <published>2008-04-16T13:46:07+09:00</published>
    <summary>　これじゃ、ラグビーではないか。そう感じた諸兄諸氏は少なくないだろう。&#13;
　混乱の聖火リレーのことである。&#13;
　青色ジャージーの屈強な聖火警備隊と、妨害しようとする抗議者が激しくぶつかる。幾重にも囲む厳戒態勢も奇妙なら、ヒステリックに叫ぶ抗議側もまた異様である。&#13;
　どだい聖火リレーのバカ騒ぎが嫌なのだった。平和の祭典の神聖な儀式なのに、スポンサーが乗っかって、派手にショーアップする。やたら有名どころを走らせ、ワイドショー化したテレビで露出を図るのだった。　ジュール・ヴェルヌの『80日間世界一周』じゃあるまいし、なぜ世界のあちこちを走らせる必要があるのか。チベット騒乱などお構いなし、世界最高峰のエベレスト（中国名チョモランマ）山頂まで聖火を運ぼうとしている。こんなの、相手もいないインゴールでひとり、スクラムを組むようなものだ。&#13;
　つまるところ、中国の国際的誇示にほかならない。どうです、中国はすごく経済成長していますよ。史上最大の五輪を開催するまでにグローバル化を遂げましたよ。聖火リレーだって、史上最長、５大陸を走るんですよ、と言っているようなものだろう。&#13;
　五輪の政治利用である。もう政治がスポーツを牛耳っている。いやだなあ。そりゃ政治とスポーツが無縁であるとは言わない。でも根本概念として、スポーツの自立を尊重しないといけない。　スポーツと政治を考える。　北京五輪にむけ、ぼくは昨年から、1980年モスクワ五輪の関係者を訪ね歩いている。　なぜ、日本はモスクワ五輪をボイコットしたのか。それを知るためだ。　日本がボイコットを決めたのは1980年５月24日の土曜日である。午前中に日本体育協会臨時理事会、午後に日本オリンピック委員会（JOC）臨時総会が開かれた。　今は亡き大西鐵之祐先生の名前も登場する。懐かしく、大西先生を知る者として誇らしくも思った。アマチュアリズムの権化である。　JOC臨時総会の採決の直前、大西先生は立ち上がった。そこで毅然と正論を吐いた。「スポーツの根本問題に政府が干渉してきた。自由と民主主義、オリンピック運動を失ってはいけない」と。　その途端、正面に座った故・河野謙三さんが怒鳴った。「何をいうのだ。政府は干渉なんてしてないぞ」と。元参議院議長の河野さんは当時、体協会長でもあった。いわば恫喝だった。会議の場は凍りついた。結局、JOCは政府に屈する格好でボイコットを決めた。　この話はことし１月、当時、体協事務局長だった鈴木祐一さんに聞いたのだった。もう80歳となる。28年前の記憶はなお鮮明だった。「あのときはぼくもビックリした」と思い出した。「大西さんはラグビー精神に徹しているから、正論を言ったのだ。たぶん河野さんはもうくたびれていたんだろう。イライラしていた。そこに大学（早稲田）の後輩の大西さんから言われたから、一喝したのだろう。やっぱり政治家として、ここで黙っていたらいけない、という読みがあったんでしょう」&#13;
　聖火リレーの混乱を嗤いながら、時には『スポーツと政治』の関係を考えるのも悪くない。楕円球を追い、スクラムを組むのに疲れたら、ビールを飲みながら、「なぜだろう」と議論してみようじゃないの。サラリーマンとて、デスクワークや営業活動に飽きたら、時には焼き鳥やで北京五輪や中国の人権問題を論じるのもいいのではないか。&#13;
　どうでもいいけど、パリで中国人の警備員に断りなくトーチの火を消された聖火ランナーの驚きと怒りに満ちた顔が忘れられない。　ゴール前チャンスで押していたスクラムが突然崩れ、コラプシングの反則を取られた３番の顔みたいだった。</summary>
    <content type="text">　これじゃ、ラグビーではないか。そう感じた諸兄諸氏は少なくないだろう。&#13;
　混乱の聖火リレーのことである。&#13;
　青色ジャージーの屈強な聖火警備隊と、妨害しようとする抗議者が激しくぶつかる。幾重にも囲む厳戒態勢も奇妙なら、ヒステリックに叫ぶ抗議側もまた異様である。&#13;
　どだい聖火リレーのバカ騒ぎが嫌なのだった。平和の祭典の神聖な儀式なのに、スポンサーが乗っかって、派手にショーアップする。やたら有名どころを走らせ、ワイドショー化したテレビで露出を図るのだった。　ジュール・ヴェルヌの『80日間世界一周』じゃあるまいし、なぜ世界のあちこちを走らせる必要があるのか。チベット騒乱などお構いなし、世界最高峰のエベレスト（中国名チョモランマ）山頂まで聖火を運ぼうとしている。こんなの、相手もいないインゴールでひとり、スクラムを組むようなものだ。&#13;
　つまるところ、中国の国際的誇示にほかならない。どうです、中国はすごく経済成長していますよ。史上最大の五輪を開催するまでにグローバル化を遂げましたよ。聖火リレーだって、史上最長、５大陸を走るんですよ、と言っているようなものだろう。&#13;
　五輪の政治利用である。もう政治がスポーツを牛耳っている。いやだなあ。そりゃ政治とスポーツが無縁であるとは言わない。でも根本概念として、スポーツの自立を尊重しないといけない。　スポーツと政治を考える。　北京五輪にむけ、ぼくは昨年から、1980年モスクワ五輪の関係者を訪ね歩いている。　なぜ、日本はモスクワ五輪をボイコットしたのか。それを知るためだ。　日本がボイコットを決めたのは1980年５月24日の土曜日である。午前中に日本体育協会臨時理事会、午後に日本オリンピック委員会（JOC）臨時総会が開かれた。　今は亡き大西鐵之祐先生の名前も登場する。懐かしく、大西先生を知る者として誇らしくも思った。アマチュアリズムの権化である。　JOC臨時総会の採決の直前、大西先生は立ち上がった。そこで毅然と正論を吐いた。「スポーツの根本問題に政府が干渉してきた。自由と民主主義、オリンピック運動を失ってはいけない」と。　その途端、正面に座った故・河野謙三さんが怒鳴った。「何をいうのだ。政府は干渉なんてしてないぞ」と。元参議院議長の河野さんは当時、体協会長でもあった。いわば恫喝だった。会議の場は凍りついた。結局、JOCは政府に屈する格好でボイコットを決めた。　この話はことし１月、当時、体協事務局長だった鈴木祐一さんに聞いたのだった。もう80歳となる。28年前の記憶はなお鮮明だった。「あのときはぼくもビックリした」と思い出した。「大西さんはラグビー精神に徹しているから、正論を言ったのだ。たぶん河野さんはもうくたびれていたんだろう。イライラしていた。そこに大学（早稲田）の後輩の大西さんから言われたから、一喝したのだろう。やっぱり政治家として、ここで黙っていたらいけない、という読みがあったんでしょう」&#13;
　聖火リレーの混乱を嗤いながら、時には『スポーツと政治』の関係を考えるのも悪くない。楕円球を追い、スクラムを組むのに疲れたら、ビールを飲みながら、「なぜだろう」と議論してみようじゃないの。サラリーマンとて、デスクワークや営業活動に飽きたら、時には焼き鳥やで北京五輪や中国の人権問題を論じるのもいいのではないか。&#13;
　どうでもいいけど、パリで中国人の警備員に断りなくトーチの火を消された聖火ランナーの驚きと怒りに満ちた顔が忘れられない。　ゴール前チャンスで押していたスクラムが突然崩れ、コラプシングの反則を取られた３番の顔みたいだった。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/441</id>
    <title>Vol.57 「積」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=441"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2008-03-17T17:02:00+09:00</updated>
    <published>2008-03-17T17:03:08+09:00</published>
    <summary>　積年の夢だった。&#13;
　大一番のキックオフまであと15分ぐらいだった。秩父宮ラグビー場。ラグビー協会事務所のトイレを小用で拝借する。隣から、ふっと風がきた。だれが並んだかと思ったら、おお懐かしい、宮地克実さんだった。　もう67歳となる。三洋電機を長く引っ張り、何度も決勝で夢を打ち砕かれてきた。90年度の全国社会人大会の決勝ではロスタイムのラストワンプレーで平尾誠二にうまく拾われてウィリアムズに走られ、神戸製鋼に逆転負けした。あれこそ悪夢だった。　『万年２位』。強くて脆い。陽気な性格もあり、三洋電機も宮地さんもメディアから愛されていた。「おひさしぶりです。どうですか、きょうは？」。そう声を掛けると、しわがれ声が返ってきた。「おお。みんなリラックスしとるわ。こっちはいつもコチコチやったのに。きょうはいけるかもな、きょうは」&#13;
　３月16日。秩父宮。日本選手権決勝。　三洋電機は、清宮克幸監督率いるサントリーとみたび、対峙する。トップリーグの試合では三洋が制し、先のマイクロソフトカップ決勝ではサントリーが勝っていた。　前回の対戦は強風下、この日は春の陽気ただよう好天下だった。「春眠暁を覚えず」。そんな言葉が浮かぶ、うららかな日曜日だった。　じつは三洋の宮本勝文監督のメガネはこれまでとちがった。新品ではない。トップリーグでサントリーに勝った試合で使ったメガネをひっぱり出してきた。ゲン担ぎだった。　試合内容にこまかくは触れない。でも見ごたえがあった。正直、面白かった。むろんタイオネ、ホラニ、ブラウンの外国勢はチームに勢いをつけたけれど、三洋フィフティーンの勝利への執着はすさまじかった。　こぼれ球にむしゃぶりつく。ひたむきなタックルを繰り返す。霜村誠一の狂気じみたしつこさは何なのだろう。あえて勝因を探せば、モールの健闘とブレイクダウンの見極めだろう。前回の対戦とちがって、この日はメリハリつけてよくファイトした。　サントリーにとっての不運は、ラインアウトの核のメイリングを欠いたことだ。早大ＯＢの佐々木隆道の欠場も響いた。記者会見で、試合前にメイリングの怪我を知った時の感想は、と聞かれ、宮本監督は口ごもった。「正直なところ、ああ、よかったな、と思いました。ＦＷも何人か笑ってました」　宮本監督はボクシングに例えた。たしか前回のサントリー戦はクリンチの連続と言っていた。ではきょうは。「打って、打って、打ちまくった。相手もそれに応えてくれた。ま、ＫＯ勝ちやね」&#13;
　勝負は時の運、という。いや運も実力のうち、ともいう。　負けん気の強い清宮監督は悔しさをかみ殺していた。「完敗です」。口元をぎゅっとゆがめる。　「やはり（タイトルを）２つ勝たないと…」「パンチの応酬をしてしまった。三洋の強みが出てしまった…」。敗戦の弁がつづく。「話があっちこっちいってますけど、結局、悔しいというわけです」　ところで、清宮監督も触れたのだけれど、この日本選手権とマイクロソフト杯のあり様がよくわからない。いったい、どちらの勝者がベストチームなのか。スケジューリングも含め、議論の余地あり、である。&#13;
　戦い済んで日が暮れて。　宮地さんは泣いていた。しわくちゃなコワモテの顔をさらにくしゃくしゃにしていた。だれかれと握手を交わす。&#13;
「おおきに。おおきに」&#13;
　もう言葉にならなかった。積年の夢が実ったのだ。清宮監督には悪いけれど、こちらもつい、もらい泣きしたくなるのだった。</summary>
    <content type="text">　積年の夢だった。&#13;
　大一番のキックオフまであと15分ぐらいだった。秩父宮ラグビー場。ラグビー協会事務所のトイレを小用で拝借する。隣から、ふっと風がきた。だれが並んだかと思ったら、おお懐かしい、宮地克実さんだった。　もう67歳となる。三洋電機を長く引っ張り、何度も決勝で夢を打ち砕かれてきた。90年度の全国社会人大会の決勝ではロスタイムのラストワンプレーで平尾誠二にうまく拾われてウィリアムズに走られ、神戸製鋼に逆転負けした。あれこそ悪夢だった。　『万年２位』。強くて脆い。陽気な性格もあり、三洋電機も宮地さんもメディアから愛されていた。「おひさしぶりです。どうですか、きょうは？」。そう声を掛けると、しわがれ声が返ってきた。「おお。みんなリラックスしとるわ。こっちはいつもコチコチやったのに。きょうはいけるかもな、きょうは」&#13;
　３月16日。秩父宮。日本選手権決勝。　三洋電機は、清宮克幸監督率いるサントリーとみたび、対峙する。トップリーグの試合では三洋が制し、先のマイクロソフトカップ決勝ではサントリーが勝っていた。　前回の対戦は強風下、この日は春の陽気ただよう好天下だった。「春眠暁を覚えず」。そんな言葉が浮かぶ、うららかな日曜日だった。　じつは三洋の宮本勝文監督のメガネはこれまでとちがった。新品ではない。トップリーグでサントリーに勝った試合で使ったメガネをひっぱり出してきた。ゲン担ぎだった。　試合内容にこまかくは触れない。でも見ごたえがあった。正直、面白かった。むろんタイオネ、ホラニ、ブラウンの外国勢はチームに勢いをつけたけれど、三洋フィフティーンの勝利への執着はすさまじかった。　こぼれ球にむしゃぶりつく。ひたむきなタックルを繰り返す。霜村誠一の狂気じみたしつこさは何なのだろう。あえて勝因を探せば、モールの健闘とブレイクダウンの見極めだろう。前回の対戦とちがって、この日はメリハリつけてよくファイトした。　サントリーにとっての不運は、ラインアウトの核のメイリングを欠いたことだ。早大ＯＢの佐々木隆道の欠場も響いた。記者会見で、試合前にメイリングの怪我を知った時の感想は、と聞かれ、宮本監督は口ごもった。「正直なところ、ああ、よかったな、と思いました。ＦＷも何人か笑ってました」　宮本監督はボクシングに例えた。たしか前回のサントリー戦はクリンチの連続と言っていた。ではきょうは。「打って、打って、打ちまくった。相手もそれに応えてくれた。ま、ＫＯ勝ちやね」&#13;
　勝負は時の運、という。いや運も実力のうち、ともいう。　負けん気の強い清宮監督は悔しさをかみ殺していた。「完敗です」。口元をぎゅっとゆがめる。　「やはり（タイトルを）２つ勝たないと…」「パンチの応酬をしてしまった。三洋の強みが出てしまった…」。敗戦の弁がつづく。「話があっちこっちいってますけど、結局、悔しいというわけです」　ところで、清宮監督も触れたのだけれど、この日本選手権とマイクロソフト杯のあり様がよくわからない。いったい、どちらの勝者がベストチームなのか。スケジューリングも含め、議論の余地あり、である。&#13;
　戦い済んで日が暮れて。　宮地さんは泣いていた。しわくちゃなコワモテの顔をさらにくしゃくしゃにしていた。だれかれと握手を交わす。&#13;
「おおきに。おおきに」&#13;
　もう言葉にならなかった。積年の夢が実ったのだ。清宮監督には悪いけれど、こちらもつい、もらい泣きしたくなるのだった。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/435</id>
    <title>Vol.56 「熟」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=435"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2008-02-20T14:42:00+09:00</updated>
    <published>2008-02-20T14:44:04+09:00</published>
    <summary>　人生はマラソンのごとし、である。&#13;
　いやマラソンは人生のごとしか。たしか著名な作家がそう、のたまっていた。　　青空がひろがる２月17日の日曜日、狂乱の『東京マラソン』を取材する。人、人、人…。揚子江の大河のごとき人の流れである。なんと3万人も走っているそうだ。なんなのだ。よく見れば、ウサギ、ウシ、カエルのかぶり物、パンダの着ぐるみもいる。　　人酔いしたので、取材を打ち切り、秩父宮ラグビー場に飛んでいく。空は広いし、空気が澄んでいる。酒の熱燗ではないけれど、ほどよい熱さもある。　午後１時ごろ、記者席に入ると、枯れた芝生では試合がおこなわれていた。全国クラブ選手権の決勝、タマリバ×六甲だった。電光掲示板をみれば、どちらもスコアは「０」、時間が「５分」だった。　「おっ。試合が始まったばかりか」とつぶやくと、目の前の女性記者が冷たく言い放った。「次の試合は２時キックオフです。ったく。前半のわけないじゃないですか」。ははは、と笑ってごまかす。もう後半だった。　　どうしてもタマリバを応援してしまう。早稲田の後輩が何人もプレーしているからだった。ひとりのプロップを追う。35歳。永遠のラグビー少年、平成６年卒業の岩下剛史くんだった。　ちょっと突き出た腹もなんのその、どんとスクラムを組んでは、低い姿勢でさっとブレイクする。ラックには遅ればせながら、それなりにつっこんでいく。しぶいタックルだって地味にやっていた。　青いヘッドキャップ姿は、なんだかユーモラスではある。でも体全体から覇気を発散している。ラスト５分。忠実なフォローからボールをもらうと、相手を弾きとばし、10メートル近く突進した。やるじゃないの。この時間帯でボールを持って走ることができるということは心身の充実があるからだ。　　試合はタマリバが21－0で快勝した。日本選手権の出場権をゲットする。こともあろうに、体重100キロのプロップは２人の女性からおおきな紙袋をもらったのだった。ひょっとしてバレンタインデーのチョコレートか。　こいつは事件だ。顔くしゃくしゃの岩下くんを通路の隅で待ち構える。「おめでとう。おつかれさん」。それはプレゼント？　「ははは。職場の女の子がみんなで食べてくださいって。はははははははははははは」　職場とは「あいおい損保」の千葉・八千代支店である。ちなみに彼は独身である。たぶん職場の人気者なのだろう。　早稲田時代はアカクロジャージを着ることはできなかった。でもラグビーが好きだった。健康にも関心がある。そこで会社のチームでラグビーを続け、いまはタマリバでラグビーを極めている。　　愚問ながら、なぜ、いまもプレーを。「すごく面白くって。学生時代も面白くなくはなかったですけど、すごい狭いラグビー観だった。いまは香港遠征にいったり、外人とやったりして、どんどんラグビー観がひろがっています。あとは仲間たちを大好きだというのもあります」　チームメイトによると、プレーの質が年ごとに上がっているそうだ。自己分析は。「パフォーマンス、全然、上がっています。基本プレーもスクラムも一瞬のスピードも…。そうそう。ボールをもらうときの角度もわかってきました」　週末はタマリバの練習か試合、平日は２日、自宅近くのジムで筋トレに励む。家でも自転車こぎ、懸垂、腹筋を欠かさない。「趣味だから楽しいんだと思います。極端な話、60歳でも70歳でも、やっていきたい」　これぞ円熟の境地か。達観か。ラグビー人生をマラソンに例えると、いまは。「35、36キロあたりじゃないですか」　日本選手権１回戦の相手はアカクロ、郷愁の早稲田である。&#13;
　タマリバのＨＰをのぞく。プロフィールの目標にこうあった。&#13;
＜年齢には負けません＞&#13;
　【ＰＲ】プロップではありません。宣伝です。北京五輪直前ルポの拙著『こわ～い中国スポーツ』（ベースボールマガジン社新書）を出版しました。笑ってください。</summary>
    <content type="text">　人生はマラソンのごとし、である。&#13;
　いやマラソンは人生のごとしか。たしか著名な作家がそう、のたまっていた。　　青空がひろがる２月17日の日曜日、狂乱の『東京マラソン』を取材する。人、人、人…。揚子江の大河のごとき人の流れである。なんと3万人も走っているそうだ。なんなのだ。よく見れば、ウサギ、ウシ、カエルのかぶり物、パンダの着ぐるみもいる。　　人酔いしたので、取材を打ち切り、秩父宮ラグビー場に飛んでいく。空は広いし、空気が澄んでいる。酒の熱燗ではないけれど、ほどよい熱さもある。　午後１時ごろ、記者席に入ると、枯れた芝生では試合がおこなわれていた。全国クラブ選手権の決勝、タマリバ×六甲だった。電光掲示板をみれば、どちらもスコアは「０」、時間が「５分」だった。　「おっ。試合が始まったばかりか」とつぶやくと、目の前の女性記者が冷たく言い放った。「次の試合は２時キックオフです。ったく。前半のわけないじゃないですか」。ははは、と笑ってごまかす。もう後半だった。　　どうしてもタマリバを応援してしまう。早稲田の後輩が何人もプレーしているからだった。ひとりのプロップを追う。35歳。永遠のラグビー少年、平成６年卒業の岩下剛史くんだった。　ちょっと突き出た腹もなんのその、どんとスクラムを組んでは、低い姿勢でさっとブレイクする。ラックには遅ればせながら、それなりにつっこんでいく。しぶいタックルだって地味にやっていた。　青いヘッドキャップ姿は、なんだかユーモラスではある。でも体全体から覇気を発散している。ラスト５分。忠実なフォローからボールをもらうと、相手を弾きとばし、10メートル近く突進した。やるじゃないの。この時間帯でボールを持って走ることができるということは心身の充実があるからだ。　　試合はタマリバが21－0で快勝した。日本選手権の出場権をゲットする。こともあろうに、体重100キロのプロップは２人の女性からおおきな紙袋をもらったのだった。ひょっとしてバレンタインデーのチョコレートか。　こいつは事件だ。顔くしゃくしゃの岩下くんを通路の隅で待ち構える。「おめでとう。おつかれさん」。それはプレゼント？　「ははは。職場の女の子がみんなで食べてくださいって。はははははははははははは」　職場とは「あいおい損保」の千葉・八千代支店である。ちなみに彼は独身である。たぶん職場の人気者なのだろう。　早稲田時代はアカクロジャージを着ることはできなかった。でもラグビーが好きだった。健康にも関心がある。そこで会社のチームでラグビーを続け、いまはタマリバでラグビーを極めている。　　愚問ながら、なぜ、いまもプレーを。「すごく面白くって。学生時代も面白くなくはなかったですけど、すごい狭いラグビー観だった。いまは香港遠征にいったり、外人とやったりして、どんどんラグビー観がひろがっています。あとは仲間たちを大好きだというのもあります」　チームメイトによると、プレーの質が年ごとに上がっているそうだ。自己分析は。「パフォーマンス、全然、上がっています。基本プレーもスクラムも一瞬のスピードも…。そうそう。ボールをもらうときの角度もわかってきました」　週末はタマリバの練習か試合、平日は２日、自宅近くのジムで筋トレに励む。家でも自転車こぎ、懸垂、腹筋を欠かさない。「趣味だから楽しいんだと思います。極端な話、60歳でも70歳でも、やっていきたい」　これぞ円熟の境地か。達観か。ラグビー人生をマラソンに例えると、いまは。「35、36キロあたりじゃないですか」　日本選手権１回戦の相手はアカクロ、郷愁の早稲田である。&#13;
　タマリバのＨＰをのぞく。プロフィールの目標にこうあった。&#13;
＜年齢には負けません＞&#13;
　【ＰＲ】プロップではありません。宣伝です。北京五輪直前ルポの拙著『こわ～い中国スポーツ』（ベースボールマガジン社新書）を出版しました。笑ってください。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/422</id>
    <title>Vol.55 「涙」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=422"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2008-01-21T12:11:00+09:00</updated>
    <published>2008-01-21T12:16:51+09:00</published>
    <summary>　涙、そう涙にはいろいろある。&#13;
　学生王者に返り咲いた早稲田の幾人かは『荒ぶる』を泣きながら歌った。いわゆる歓喜の涙である。悪くない。羨ましい。&#13;
　その６日後、横浜地裁の403号法廷である。小学校の教室ぐらいの小さな法廷の被告人席で、元関東学院大学ラグビー部の中村大樹くんは自身の犯した罪の情けなさに涙をぽろぽろっと落とした。&#13;
　１月18日、金曜日。午前９時半に開廷する。中村くんと梅埜（うめの）桂嗣くんが紐に結ばれて部屋に入ってくる。その姿を見るなり、ふたりの母親は顔を覆ってオイオイと泣き出した。たまらなくせつない。&#13;
　関東学院大ラグビー部員２人の大麻事件の初公判である。傍聴するため、早朝から63人が並んだ。抽選の結果、うち28人が傍聴することができた。白状すれば、ぼくは法廷に入ることができなかった。　でもサンケイスポーツの敏腕記者、林健太郎記者は傍聴席に座った。ご存知、早稲田ラグビー部のOB（平成10年卒）である。公判後、ホテルで豪華ランチをご馳走する代わり、克明に話を聞いた。だから、法廷内の様子は伝聞である。　中村くんは青色の上下のジャージ、梅埜くんは黒色の上下のジャージ姿だった。林記者、曰く。「ずっと拘置所にいたからか、ふたりとも顔色が青白くなっていました。紐縄に結ばれている姿はあわれで、とても見ていられなかったです」&#13;
　まずは裁判官が氏名、身分を確認する。梅埜くんは「大学生でした」と言った。「大学は退学処分にとなったと聞いています」。ふたりとも関東学院大を退学処分となっている。ともに21歳。これからの長い人生はどうなるのだろう。　ふたりは関東学院大が寮として借り上げていたマンションの自室の押入れで大麻草16本を栽培していた。大麻を吸引し、他のラグビー部員12人（不起訴）にも勧めていたのだった。罪状認否で、ふたりは「間違いありません」と起訴事実を認めた。　林記者がいちばん印象に残ったというのは被告人質問である。裁判官も検察官も弁護士も同じ趣旨のことを聞いた。　ラグビー部の同僚が数回にわたり、述べ10人以上が大麻栽培を目撃している。「だれも注意はしなかったのですか」と聞いた。中村くんも梅埜くんも同じ答えだった。「はい。だれも何も言いませんでした」　ぼくはショックでした。そんなことがあっていいのでしょうか。林記者は傍聴席でコブシを握りしめたそうだ。同感である。この大麻事件は断じて、許されるものではない。でも一番寂しいのは、気づいていた他の部員が止めなかったことである。　もし、これが、早稲田だったら、どうだろうか。あるいは慶応、明治だったら、どうだろう。必ず、止める学生がいるはずだ。殴りつける男がいるはずだ。それがラグビーというスポーツだ。そう信じる。　　関東学院大は春口廣監督が辞任し、シーズンの活動を自粛した。公判のやりとりを聞けば、関東学院大のラグビー部は一部が腐っていたのではないか（それでも僕は連帯責任には反対だが…）。　検察側はふたりに懲役１年6カ月を求刑した。弁護側は執行猶予付きを求めた。判決は１月25日の金曜日に言い渡される。　裁判官は途中、こう言った。「カントーのラグビー部が社会的にどれほど価値があるかしらないけれど、スポーツばかりをやらないで社会規範を勉強しなさい」と。　　失って初めて大事さに気がつくものがある。健康、家族、恋人、友人…。人によっては楕円球の場合もある。梅埜くんは目元を腫らし、こう漏らした。「僕はラグビーが好きだったということがよく分かりました。そのラグビーをカントーでもうできないのがすごく悔しくて…」　　同情は禁物だ。ふたりは仲間を裏切り、春口さんを裏切り、ラグビーを裏切った。親不孝もはたらいた。　ふたりの母親は閉廷まで、ずっと顔を覆ってむせび泣きしていたそうだ。</summary>
    <content type="text">　涙、そう涙にはいろいろある。&#13;
　学生王者に返り咲いた早稲田の幾人かは『荒ぶる』を泣きながら歌った。いわゆる歓喜の涙である。悪くない。羨ましい。&#13;
　その６日後、横浜地裁の403号法廷である。小学校の教室ぐらいの小さな法廷の被告人席で、元関東学院大学ラグビー部の中村大樹くんは自身の犯した罪の情けなさに涙をぽろぽろっと落とした。&#13;
　１月18日、金曜日。午前９時半に開廷する。中村くんと梅埜（うめの）桂嗣くんが紐に結ばれて部屋に入ってくる。その姿を見るなり、ふたりの母親は顔を覆ってオイオイと泣き出した。たまらなくせつない。&#13;
　関東学院大ラグビー部員２人の大麻事件の初公判である。傍聴するため、早朝から63人が並んだ。抽選の結果、うち28人が傍聴することができた。白状すれば、ぼくは法廷に入ることができなかった。　でもサンケイスポーツの敏腕記者、林健太郎記者は傍聴席に座った。ご存知、早稲田ラグビー部のOB（平成10年卒）である。公判後、ホテルで豪華ランチをご馳走する代わり、克明に話を聞いた。だから、法廷内の様子は伝聞である。　中村くんは青色の上下のジャージ、梅埜くんは黒色の上下のジャージ姿だった。林記者、曰く。「ずっと拘置所にいたからか、ふたりとも顔色が青白くなっていました。紐縄に結ばれている姿はあわれで、とても見ていられなかったです」&#13;
　まずは裁判官が氏名、身分を確認する。梅埜くんは「大学生でした」と言った。「大学は退学処分にとなったと聞いています」。ふたりとも関東学院大を退学処分となっている。ともに21歳。これからの長い人生はどうなるのだろう。　ふたりは関東学院大が寮として借り上げていたマンションの自室の押入れで大麻草16本を栽培していた。大麻を吸引し、他のラグビー部員12人（不起訴）にも勧めていたのだった。罪状認否で、ふたりは「間違いありません」と起訴事実を認めた。　林記者がいちばん印象に残ったというのは被告人質問である。裁判官も検察官も弁護士も同じ趣旨のことを聞いた。　ラグビー部の同僚が数回にわたり、述べ10人以上が大麻栽培を目撃している。「だれも注意はしなかったのですか」と聞いた。中村くんも梅埜くんも同じ答えだった。「はい。だれも何も言いませんでした」　ぼくはショックでした。そんなことがあっていいのでしょうか。林記者は傍聴席でコブシを握りしめたそうだ。同感である。この大麻事件は断じて、許されるものではない。でも一番寂しいのは、気づいていた他の部員が止めなかったことである。　もし、これが、早稲田だったら、どうだろうか。あるいは慶応、明治だったら、どうだろう。必ず、止める学生がいるはずだ。殴りつける男がいるはずだ。それがラグビーというスポーツだ。そう信じる。　　関東学院大は春口廣監督が辞任し、シーズンの活動を自粛した。公判のやりとりを聞けば、関東学院大のラグビー部は一部が腐っていたのではないか（それでも僕は連帯責任には反対だが…）。　検察側はふたりに懲役１年6カ月を求刑した。弁護側は執行猶予付きを求めた。判決は１月25日の金曜日に言い渡される。　裁判官は途中、こう言った。「カントーのラグビー部が社会的にどれほど価値があるかしらないけれど、スポーツばかりをやらないで社会規範を勉強しなさい」と。　　失って初めて大事さに気がつくものがある。健康、家族、恋人、友人…。人によっては楕円球の場合もある。梅埜くんは目元を腫らし、こう漏らした。「僕はラグビーが好きだったということがよく分かりました。そのラグビーをカントーでもうできないのがすごく悔しくて…」　　同情は禁物だ。ふたりは仲間を裏切り、春口さんを裏切り、ラグビーを裏切った。親不孝もはたらいた。　ふたりの母親は閉廷まで、ずっと顔を覆ってむせび泣きしていたそうだ。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/413</id>
    <title>Vol.54 「光」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=413"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2007-12-18T16:44:00+09:00</updated>
    <published>2007-12-18T16:57:16+09:00</published>
    <summary>　師走某日。九州の熊本から一通のハガキがとどいた。書き出しはこうだ。&#13;
＜ご迷惑をおかけしました＞&#13;
　だれだろう。差出人を見る。達筆だ。「松村照光」とある。あっ、松村さんだ。ずいぶん前、熊本市内の居酒屋で馬肉のホルモン鉄板焼きを一緒につついた。　関東学院大ラグビー部のＯＢである。春口廣さんが監督に就任した1974（昭和49）年のキャプテンをつとめた。こんかいの大麻事件にたいそう胸をいため、こちらにまでハガキをくれたのだった。　なぜ、一ＯＢがぼくに謝るのか。たぶん、全国の関東学院大ラグビー部ＯＢが同じような心境かもしれない。後輩がしでかした不祥事に落胆し、周りに頭をさげる。なんとなく分かるような気がする。　ハガキにこんなくだりも、あった。&#13;
＜カントーのラグビー部はわたしの小さな光です。どうか消さないでください＞&#13;
　先週の土曜日は神戸にいった。トップリーグのサントリー×神戸製鋼を見るためだった。さっさと取材を済ませ、神戸の元町に飛んでいった。　阪神・淡路大震災メモリアル『神戸ルミナリエ』をひと目、拝みたかったのだ。いちゃつくアベックを横目に、ひとり寂しく、列に並ぶ。寒風に耐えること1時間余、午後5時過ぎ、やっとライトアップされた。　きれいだった。三ノ宮駅でもらったパンフレットにはこうあった。＜癒す光。閃く光。導く光。あなたを包む光があります＞と。闇の恐怖を打ち消す光か…。　人生を照らす光、それが、ある人には大学のラグビー部だったりするのだろうか。そこに自身の青春時代をだぶらせるのだろうか。きらめく「ルミナリエ」を見ながら、そんなことを想った。　　その翌日は花園ラグビー場にいた。　大学ラグビー選手権の１回戦をみるためだった。早稲田はいない（ゴメンナサイ）。慶大×大体大、筑波大×同大。白状すれば、一番は大体大の坂田好弘さんの応援だった。　試合前、懐かしい人物にあった。かつて関東学院大ラグビー部のマネジャーを務め、いまは関西の某強豪ラグビー部のコーチをしている。いいオトコだ。「すいませんでした」と、彼も謝った。別に謝る必要はないんじゃないの？「いえいえ。ＯＢとして、ぼくらは“お騒がせしました”と謝罪するしかないのです。つらい年末です。春口さん、体は大丈夫なのでしょうか？」　ラグビー場そばのたこ焼き屋でたこ焼きをほお張りながら、いろんな話をした。大麻事件の背景、理由、影響、春口さん辞任の是非、来春の入学予定者の辞退…。　じつは話の中で「へえ～」と思ったことがあった。関東学院大ラグビー部にはちゃんとしたＯＢ会がないのだった。大学の体育会のクラブにはＯＢ会があるものと思っていたけれど、大学日本一６度の関東学院大はちがったのだ。ＯＢ会がないと連絡網もなく、こんなときは大変なのだそうだ。「だから」と彼は言った。「この不祥事をきっかけにＯＢ会をつくろうとしています。今しかＯＢがまとまるときはありません。ＯＢも一緒になって、春口さんを応援し、苦境を乗り越えるしかないのです」　　木枯らし吹く日、春口さんに会った。　疲労困憊。なんだか、しぼんでいる。「さすがの私も耐え切れなかった」と元気がなかった。そりゃそうだろう。「光」ともいうべき、大好きなラグビーを取り上げられたのだから。　ただＯＢたちの激励には喜んでいた。サントリーの清宮克幸監督、早稲田の中竹竜二監督のエールには涙を流した。「こんなとき、早稲田のやつはやさしいなあ、ほんと」　ちょっとは元気が出たのだろう。別れ際、春さんは笑ってこう言った。ヒゲをそり落としたあごをさすりながら。　「ねえ。キヨに会ったら、言っといてよ。ひげそりをプレゼントしてよって。テレビのコマーシャルで“ああ、いいですね。よく剃れますね”と言っているやつをさ」</summary>
    <content type="text">　師走某日。九州の熊本から一通のハガキがとどいた。書き出しはこうだ。&#13;
＜ご迷惑をおかけしました＞&#13;
　だれだろう。差出人を見る。達筆だ。「松村照光」とある。あっ、松村さんだ。ずいぶん前、熊本市内の居酒屋で馬肉のホルモン鉄板焼きを一緒につついた。　関東学院大ラグビー部のＯＢである。春口廣さんが監督に就任した1974（昭和49）年のキャプテンをつとめた。こんかいの大麻事件にたいそう胸をいため、こちらにまでハガキをくれたのだった。　なぜ、一ＯＢがぼくに謝るのか。たぶん、全国の関東学院大ラグビー部ＯＢが同じような心境かもしれない。後輩がしでかした不祥事に落胆し、周りに頭をさげる。なんとなく分かるような気がする。　ハガキにこんなくだりも、あった。&#13;
＜カントーのラグビー部はわたしの小さな光です。どうか消さないでください＞&#13;
　先週の土曜日は神戸にいった。トップリーグのサントリー×神戸製鋼を見るためだった。さっさと取材を済ませ、神戸の元町に飛んでいった。　阪神・淡路大震災メモリアル『神戸ルミナリエ』をひと目、拝みたかったのだ。いちゃつくアベックを横目に、ひとり寂しく、列に並ぶ。寒風に耐えること1時間余、午後5時過ぎ、やっとライトアップされた。　きれいだった。三ノ宮駅でもらったパンフレットにはこうあった。＜癒す光。閃く光。導く光。あなたを包む光があります＞と。闇の恐怖を打ち消す光か…。　人生を照らす光、それが、ある人には大学のラグビー部だったりするのだろうか。そこに自身の青春時代をだぶらせるのだろうか。きらめく「ルミナリエ」を見ながら、そんなことを想った。　　その翌日は花園ラグビー場にいた。　大学ラグビー選手権の１回戦をみるためだった。早稲田はいない（ゴメンナサイ）。慶大×大体大、筑波大×同大。白状すれば、一番は大体大の坂田好弘さんの応援だった。　試合前、懐かしい人物にあった。かつて関東学院大ラグビー部のマネジャーを務め、いまは関西の某強豪ラグビー部のコーチをしている。いいオトコだ。「すいませんでした」と、彼も謝った。別に謝る必要はないんじゃないの？「いえいえ。ＯＢとして、ぼくらは“お騒がせしました”と謝罪するしかないのです。つらい年末です。春口さん、体は大丈夫なのでしょうか？」　ラグビー場そばのたこ焼き屋でたこ焼きをほお張りながら、いろんな話をした。大麻事件の背景、理由、影響、春口さん辞任の是非、来春の入学予定者の辞退…。　じつは話の中で「へえ～」と思ったことがあった。関東学院大ラグビー部にはちゃんとしたＯＢ会がないのだった。大学の体育会のクラブにはＯＢ会があるものと思っていたけれど、大学日本一６度の関東学院大はちがったのだ。ＯＢ会がないと連絡網もなく、こんなときは大変なのだそうだ。「だから」と彼は言った。「この不祥事をきっかけにＯＢ会をつくろうとしています。今しかＯＢがまとまるときはありません。ＯＢも一緒になって、春口さんを応援し、苦境を乗り越えるしかないのです」　　木枯らし吹く日、春口さんに会った。　疲労困憊。なんだか、しぼんでいる。「さすがの私も耐え切れなかった」と元気がなかった。そりゃそうだろう。「光」ともいうべき、大好きなラグビーを取り上げられたのだから。　ただＯＢたちの激励には喜んでいた。サントリーの清宮克幸監督、早稲田の中竹竜二監督のエールには涙を流した。「こんなとき、早稲田のやつはやさしいなあ、ほんと」　ちょっとは元気が出たのだろう。別れ際、春さんは笑ってこう言った。ヒゲをそり落としたあごをさすりながら。　「ねえ。キヨに会ったら、言っといてよ。ひげそりをプレゼントしてよって。テレビのコマーシャルで“ああ、いいですね。よく剃れますね”と言っているやつをさ」</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/404</id>
    <title>Vol.53 「大麻」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=404"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2007-11-20T16:34:00+09:00</updated>
    <published>2007-11-20T16:47:28+09:00</published>
    <summary>　なぜだろう。&#13;
　関東学院大ラグビー部員が大麻栽培で捕まってから、ずっと考えていた。なぜ、そんな愚かなことをしたのだろう。事の善悪はもちろん、発覚後のチームへの迷惑を少しでも想像できれば、そんなアホなことはできなかったはずである。&#13;
　ひょっとして罪の意識がほとんどなかったのではないか。興味本位、遊び半分、ということである。常識ある人々は、「大麻」と聞けば、「悪」「犯罪」と思う。でも人によっては、「他人に迷惑をかけないからいいのではないか」「欧州では合法の国もある」「タバコより体に害がない」と真顔で言うのだ。　はっきりしているのは、日本では違法だということである。社会で生活する最低限のルールとして僕らは法律を犯してはいけないのである。　よく電車の駅に貼ってある。『チカン行為は犯罪です』と。当たり前である。でも、ということは、チカンは犯罪ではないと思っているアホがいるのかなと恐くなるのだった。&#13;
　ご存知の方もいるだろうが、監督の春口廣さんと親しくさせてもらっている。書籍も書かせてもらった。どうしても情が移る。だから、今回の不祥事もどちらかというと同情的にみてしまう。ジャーナリストとして、あってはいけない、ことである。　ここは、ココロを鬼にして、「なぜ、こんな事件が起きたのか」と聞かねばならなかった。春口さんは声を絞り出した。「甘さ、だと思う。“つもり”がこうなったんじゃないか。自分は（私生活の指導を）やっているつもりだった。例えば合宿所には寮長や室長を決めていた。彼らがちゃんとやってくれると信じていた。でも、全部、“つもり”だった。もっと、厳しくやらなければいけなかったのだ」　指導者としての責任は。「もちろん責任はラグビー部の監督の自分がとる。法的秩序を乱した責任、ラグビーを愛する人たちを失望させた責任をとらなければいけないでしょ」&#13;
　春口さんは日ごとに、しぼんでいってしまった。持病の心臓病は大丈夫かな、と心配する。倒れてしまうのではないか。　こういった不祥事が起きた場合、おおくのメディアは「建前」と「正義」を振りかざす。「ラグビー部に慢心、おごりがあった」「規範意識が欠如していた」「スキがあった」と。そして指摘する。「チームとしての連帯責任をとるべきだ」と。　ぼくはチームの連帯責任には反対である。でもヨソのコラムで書いたので、ここでその是非には詳しく触れない。&#13;
　ただ逆説的に思うのは、では「慢心」「おごり」がなかったら、こんかいの不祥事は回避できたか、ということである。　否、ではないか。大麻に関して、もはや社会問題ではないのか。　　関係者によると、彼らは高校時代から大麻を知っていたという。大学に入って、どこぞの酒場で再び、大麻と接してしまった。大麻草の種はインターネットや海外では簡単に手に入る。大麻栽培の本も買える。　愚かな人間は、関東学院大だろうが、早・慶・明だろうが、どこにいっても、同じような過ちを犯したのではないか。　もはや、これは個人の問題じゃないのか。だから、チームの責任にまで転化するのには抵抗があるのだ。　たしかにチームを愛していれば、あるいはラグビーを愛していれば、大麻を育てなかったという見方もできるだろう。でも罪の意識が希薄であれば、どうだったのか。　　要はラグビー部内のふだんからの「規範意識」の徹底である。ラグビーを通し、あるいは合宿所でのコミュニケーションの中で一般常識や規律を確認しあう。「おれたちは若者のロールモデル（模範）なんだぜ」とプライドをつくるのである。　　あぁ外では木枯らしが吹いている。対外試合自粛となった関東学院大ラグビー部にとって、この冬はつらく、きびしいものになるだろう。寂しいなあ。　　主将の中園真司はラグビースクールの幼稚園児から手紙をもらった。＜シンジせんせい、がんばってください＞と。　泣けてくる。なにをがんばるのか。中園は来春、ヤマハでラグビーを続けるから、いまの練習をがんばればいい。でも、就職先が決まっていない四年生はなにをがんばるのか。　　今回の不祥事はどこの大学にとっても他人事ではなかろう。　願わくは、早稲田のラグビー部員よ、大学日本一を目指し、試合や練習が目いっぱいできる幸せをかみ締めてほしい。</summary>
    <content type="text">　なぜだろう。&#13;
　関東学院大ラグビー部員が大麻栽培で捕まってから、ずっと考えていた。なぜ、そんな愚かなことをしたのだろう。事の善悪はもちろん、発覚後のチームへの迷惑を少しでも想像できれば、そんなアホなことはできなかったはずである。&#13;
　ひょっとして罪の意識がほとんどなかったのではないか。興味本位、遊び半分、ということである。常識ある人々は、「大麻」と聞けば、「悪」「犯罪」と思う。でも人によっては、「他人に迷惑をかけないからいいのではないか」「欧州では合法の国もある」「タバコより体に害がない」と真顔で言うのだ。　はっきりしているのは、日本では違法だということである。社会で生活する最低限のルールとして僕らは法律を犯してはいけないのである。　よく電車の駅に貼ってある。『チカン行為は犯罪です』と。当たり前である。でも、ということは、チカンは犯罪ではないと思っているアホがいるのかなと恐くなるのだった。&#13;
　ご存知の方もいるだろうが、監督の春口廣さんと親しくさせてもらっている。書籍も書かせてもらった。どうしても情が移る。だから、今回の不祥事もどちらかというと同情的にみてしまう。ジャーナリストとして、あってはいけない、ことである。　ここは、ココロを鬼にして、「なぜ、こんな事件が起きたのか」と聞かねばならなかった。春口さんは声を絞り出した。「甘さ、だと思う。“つもり”がこうなったんじゃないか。自分は（私生活の指導を）やっているつもりだった。例えば合宿所には寮長や室長を決めていた。彼らがちゃんとやってくれると信じていた。でも、全部、“つもり”だった。もっと、厳しくやらなければいけなかったのだ」　指導者としての責任は。「もちろん責任はラグビー部の監督の自分がとる。法的秩序を乱した責任、ラグビーを愛する人たちを失望させた責任をとらなければいけないでしょ」&#13;
　春口さんは日ごとに、しぼんでいってしまった。持病の心臓病は大丈夫かな、と心配する。倒れてしまうのではないか。　こういった不祥事が起きた場合、おおくのメディアは「建前」と「正義」を振りかざす。「ラグビー部に慢心、おごりがあった」「規範意識が欠如していた」「スキがあった」と。そして指摘する。「チームとしての連帯責任をとるべきだ」と。　ぼくはチームの連帯責任には反対である。でもヨソのコラムで書いたので、ここでその是非には詳しく触れない。&#13;
　ただ逆説的に思うのは、では「慢心」「おごり」がなかったら、こんかいの不祥事は回避できたか、ということである。　否、ではないか。大麻に関して、もはや社会問題ではないのか。　　関係者によると、彼らは高校時代から大麻を知っていたという。大学に入って、どこぞの酒場で再び、大麻と接してしまった。大麻草の種はインターネットや海外では簡単に手に入る。大麻栽培の本も買える。　愚かな人間は、関東学院大だろうが、早・慶・明だろうが、どこにいっても、同じような過ちを犯したのではないか。　もはや、これは個人の問題じゃないのか。だから、チームの責任にまで転化するのには抵抗があるのだ。　たしかにチームを愛していれば、あるいはラグビーを愛していれば、大麻を育てなかったという見方もできるだろう。でも罪の意識が希薄であれば、どうだったのか。　　要はラグビー部内のふだんからの「規範意識」の徹底である。ラグビーを通し、あるいは合宿所でのコミュニケーションの中で一般常識や規律を確認しあう。「おれたちは若者のロールモデル（模範）なんだぜ」とプライドをつくるのである。　　あぁ外では木枯らしが吹いている。対外試合自粛となった関東学院大ラグビー部にとって、この冬はつらく、きびしいものになるだろう。寂しいなあ。　　主将の中園真司はラグビースクールの幼稚園児から手紙をもらった。＜シンジせんせい、がんばってください＞と。　泣けてくる。なにをがんばるのか。中園は来春、ヤマハでラグビーを続けるから、いまの練習をがんばればいい。でも、就職先が決まっていない四年生はなにをがんばるのか。　　今回の不祥事はどこの大学にとっても他人事ではなかろう。　願わくは、早稲田のラグビー部員よ、大学日本一を目指し、試合や練習が目いっぱいできる幸せをかみ締めてほしい。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/393</id>
    <title>Vol.52 「＋α」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=393"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2007-10-23T11:05:00+09:00</updated>
    <published>2007-10-23T11:09:30+09:00</published>
    <summary>　バラ色の時間が過ぎる。1カ月半におよぶワールドカップ（W杯）取材がおわった。つらいことはヤマほどあったけれど、サイコーの真剣勝負とフランス文化に触れることができた。毎日が「シャンパン・パーティー」のような気分だった。あぁ社会復帰できるか…。&#13;
　決勝トーナメントの合間を縫って、シャンパーニュ地方にバスツアーで出かけた。ボルドーでワインツアーをしたなら、パリでシャンパンツアーをしないのは、バッカス（酒神）に失礼だと都合よく思ったからだった。ひとり99ユーロ（約１万６千円）、とても高い。&#13;
　メインは老舗メゾンの『モエ・エ・シャンドン』見学だった。シャンパンの王様、ドンペリもこのメゾンによって造られている。広大なカーブを見学し、もちろんテイスティングもやった。案内役のマドモワゼル曰く、モエ・エ・シャンドンはシャンパン造りの際、３つの味を大事にしていると言った。「フルーティー」「魅力」「エレガント」。　当然、聞く。魅力とは。「アンププリュ」。つまり、プラスアルファ（＋α）、あとちょっと何かをプラスするとおっしゃった。少しの情熱と、少しのプライドと、少しのディシプリンと…。よく分からない。説明不能。ミステリアスである。&#13;
　ここで話題を強引にＷ杯に持ってくる。今大会、一番のミステリアスはニュージーランド代表、オールブラックスの敗退だった。あんなに強いのになぜ、Ｗ杯では勝てないのか。ナゾなのだった。　おおきなＦＷと俊足バックスを擁し、パワー、技術、スピードは最高級だった。シャンパンでいうなら、それこそドンペリである。モエ・エ・シャンドンのヴィンテージものなのだった。でも負けた。ここは目には見えない部分、メンタルに問題があったのだろう。　敗戦後、「この世の終わり」のような顔をしたオールブラックスのリッチー・マコウ主将は、力なく漏らしたものだ。「何がおこったのか、よくわからない。説明できないのだ。ディシプリン（規律）が欠けていた。シンビンをだすとは。落ち着きを失ったまま、試合が終わってしまった」　ラグビー王国の呪縛か、プレッシャーか。ディシプリンを最も大事にしてきたオールブラックスが、その拠り所を失うとは…。準々決勝敗退は初めての屈辱である。&#13;
　試合の翌週、元オールブラックスのジンザン・ブルックさんとパリで話をする機会があった。「こんにちは」と日本語であいさつされた。日本のフィジー戦、カナダ戦を観戦したそうだ。「ジャパンはフィジーに勝って、決勝トーナメントに進めたのに残念だったな。フィジーは時々、ヤシの木の下にいるかのように試合で昼寝するときがある。ジャパンの試合がまさにそうだった」　ジャパンのことはもういいのだ。話題を「なぜ、オールブラックスが負けたか」に振る。彼は戦術的なことをひとしきり話したあと、「一番はプライド」と言った。オールブラックスは２年前から２プラトーンシステム、つまりは「２チーム制」を敷いている。だからオールブラックスのジャージの価値が落ちた。プライドが落ちたのだ、と。　なるほど、当たっているのかもしれない。ジャージを着るのが難しければ難しいほど、プライドの重みも増すものだ。プライドとディシプリンは無関係でもあるまい。ラグビーにおいての「アンププリュ」とはこのことではあるまいか。&#13;
　忘れられないシーンがある。　オールブラックス×フランスの試合前、「ハカ」の時、フランス選手が歩み出て、オールブラックスの数十センチまで迫ったのだった。すさまじい迫力だった。　しかも、その対抗策を３日前からチームで真剣に話し合っていたというから素敵じゃないか。それが勝負というものだ。それが「アンププリュ」なのである。　　さて、大学ラグビーが開幕した。ことしのワセダのアンププリュは。　　あなたの人生のアンププリュは。</summary>
    <content type="text">　バラ色の時間が過ぎる。1カ月半におよぶワールドカップ（W杯）取材がおわった。つらいことはヤマほどあったけれど、サイコーの真剣勝負とフランス文化に触れることができた。毎日が「シャンパン・パーティー」のような気分だった。あぁ社会復帰できるか…。&#13;
　決勝トーナメントの合間を縫って、シャンパーニュ地方にバスツアーで出かけた。ボルドーでワインツアーをしたなら、パリでシャンパンツアーをしないのは、バッカス（酒神）に失礼だと都合よく思ったからだった。ひとり99ユーロ（約１万６千円）、とても高い。&#13;
　メインは老舗メゾンの『モエ・エ・シャンドン』見学だった。シャンパンの王様、ドンペリもこのメゾンによって造られている。広大なカーブを見学し、もちろんテイスティングもやった。案内役のマドモワゼル曰く、モエ・エ・シャンドンはシャンパン造りの際、３つの味を大事にしていると言った。「フルーティー」「魅力」「エレガント」。　当然、聞く。魅力とは。「アンププリュ」。つまり、プラスアルファ（＋α）、あとちょっと何かをプラスするとおっしゃった。少しの情熱と、少しのプライドと、少しのディシプリンと…。よく分からない。説明不能。ミステリアスである。&#13;
　ここで話題を強引にＷ杯に持ってくる。今大会、一番のミステリアスはニュージーランド代表、オールブラックスの敗退だった。あんなに強いのになぜ、Ｗ杯では勝てないのか。ナゾなのだった。　おおきなＦＷと俊足バックスを擁し、パワー、技術、スピードは最高級だった。シャンパンでいうなら、それこそドンペリである。モエ・エ・シャンドンのヴィンテージものなのだった。でも負けた。ここは目には見えない部分、メンタルに問題があったのだろう。　敗戦後、「この世の終わり」のような顔をしたオールブラックスのリッチー・マコウ主将は、力なく漏らしたものだ。「何がおこったのか、よくわからない。説明できないのだ。ディシプリン（規律）が欠けていた。シンビンをだすとは。落ち着きを失ったまま、試合が終わってしまった」　ラグビー王国の呪縛か、プレッシャーか。ディシプリンを最も大事にしてきたオールブラックスが、その拠り所を失うとは…。準々決勝敗退は初めての屈辱である。&#13;
　試合の翌週、元オールブラックスのジンザン・ブルックさんとパリで話をする機会があった。「こんにちは」と日本語であいさつされた。日本のフィジー戦、カナダ戦を観戦したそうだ。「ジャパンはフィジーに勝って、決勝トーナメントに進めたのに残念だったな。フィジーは時々、ヤシの木の下にいるかのように試合で昼寝するときがある。ジャパンの試合がまさにそうだった」　ジャパンのことはもういいのだ。話題を「なぜ、オールブラックスが負けたか」に振る。彼は戦術的なことをひとしきり話したあと、「一番はプライド」と言った。オールブラックスは２年前から２プラトーンシステム、つまりは「２チーム制」を敷いている。だからオールブラックスのジャージの価値が落ちた。プライドが落ちたのだ、と。　なるほど、当たっているのかもしれない。ジャージを着るのが難しければ難しいほど、プライドの重みも増すものだ。プライドとディシプリンは無関係でもあるまい。ラグビーにおいての「アンププリュ」とはこのことではあるまいか。&#13;
　忘れられないシーンがある。　オールブラックス×フランスの試合前、「ハカ」の時、フランス選手が歩み出て、オールブラックスの数十センチまで迫ったのだった。すさまじい迫力だった。　しかも、その対抗策を３日前からチームで真剣に話し合っていたというから素敵じゃないか。それが勝負というものだ。それが「アンププリュ」なのである。　　さて、大学ラグビーが開幕した。ことしのワセダのアンププリュは。　　あなたの人生のアンププリュは。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/389</id>
    <title>Vol.51「熟成」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=389"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2007-09-27T19:52:00+09:00</updated>
    <published>2007-09-27T19:55:51+09:00</published>
    <summary>『80日間世界一周』をご存知か。&#13;
　そう、ジュール・ヴェルヌの傑作で、冒険家がロンドンを出発して、エジプト、インド、中国、日本、アメリカなどを旅して回る。最後は時差による一日のずれでスピード周りレースに勝つという素敵なストーリーである。&#13;
　ただ時には時差に泣くこともある。フランス、英国で開催中のラグビーのワールドカップ（W杯）取材で旅しているため、時差を勘違いして、締め切り日を間違ったのである。まずい。えらく迷惑をかけた。ワインボケ、かつ時差ぼけ頭を抱えて、壊れそうなパソコンに向かうのだった。&#13;
　ジャパンは、前回大会に比べると、よく戦った。豪州、ウェールズに大敗しながらも、フィジーにはあと一歩と迫り、カナダには劇的ドローに追いついた。　１分け３敗の結果はともかく、低くひたむきなタックルはフランス人の感動を呼んだ。あのフィジー戦のラスト５分の猛攻、記者席にいて興奮で鳥肌が立った。心で「いけぇ～！」と叫んでいた。　スタジアムの総立ちの拍手だけでなく、何度、トゥールーズの町角で「お～、ジャポン！」と握手を求められたことか。ちょっぴり気分がいいではないか。　早稲田OBのCTB今村雄太、SH矢富勇毅らも好プレーを見せた。豪州戦の怪我で戦列離脱したナンバー８佐々木隆道も体を張っていた。やはり大きな舞台を経験すると、プレーも顔つきも変わってくる。　試合に出なくても、バックアップメンバーのフッカー青木佑輔はくさらずチームに献身的に動いていた。ジャパン最終戦のカナダ戦の時でも、試合前には赤い日本の応援ウチワを市民に配っていた。ちょっと雑談すれば、ワールドカップへの意欲が言葉からほとばしるのである。「試合に出場できず、残念でした。次の大会まで4年も待たないといけません。でも次は絶対にプレーします」。いいぞ、いいぞ。つい応援したくなる。&#13;
　ワールドカップはいい。セ・ボンである。トレビアンである。記者（とくにフリーランスは）だってつらいことはいっぱいあるけれど、ワールドカップは楽しいのだ。だから、自腹を切って、諸々の事柄をうっちゃって、50日余も重いスーツケース２つを抱えて英国、フランスを旅して回るのである。　むろん会社員ではないから、空いた時間にはやりたいことはなんでもやる。基本的に単独行動を旨とする。海外に出たら、極力、ひとりで哲学するのである。　　ジャパンの最終戦が終わった翌日の26日、ボルドーで半日のシャトー巡りバスツアーに参加した。「シャトー」はふつう城の意味だけれど、ボルドーではブドウの栽培からワインの製造、瓶詰めまで行う製造所を指す。　ひとり37ユーロ（約6千円）とちょっと高い。狙いはもちろん、いろんなワインのテイスティングである。ボルドー近くのサンテミリオン（高級ワインの産地）まで行った。　ひとつの製造所での農場の案内役おっさんがわかりやすく教えてくれる。ガイドが英語で通訳する。テイスティングでは、まず目でワインの色合いを見て、鼻で香りを嗅ぎ、口で味を吟味するのだそうだ。「５年寝かせないワインはベイビーみたいなものだ」「ちょっとスパイシー、でもリッチでしょ」「この年のヤングなワインはパワフルだ」。なんて嘆息交じりに言葉が漏れる。　へえ～、と思ったのは、ブレンドものが決して悪くないということだった。パワフルな年のワインとマイルドな年、あるいは渋みある年のワインを混ぜると、奥の深い上物が誕生することもある。どうでしょ。なんだかラグビーのチームと同じだと思いませんか。　そういえば、同じ日の午前中のジャパン総括会見の後、主将の箕内拓郎はチームをワインに例えてくれた。「まだジャパンは全体的に若かった。ほろ苦い味でした。あと４年、寝かせないとダメですね」と。&#13;
　嗚呼、今村くん、矢富くん、佐々木くん、青木くんらがあと４年、熟成されれば、どんな味を出すのか。楽しみではないか。&#13;
　じつはリヨンからトゥールーズにひとりで移動する列車（TGV）の中で一張羅の高級ジャケットを盗まれてしまった。情けない。　落ち込んでいたときに触れたからか、トゥールーズでもらったパンフレットの言葉が気に入った。ちなみにトゥールーズはラグビーの街である。&#13;
＜トゥールーズは、スクラムの真っ只中でも時にはほっと息のつけるそんな街＞</summary>
    <content type="text">『80日間世界一周』をご存知か。&#13;
　そう、ジュール・ヴェルヌの傑作で、冒険家がロンドンを出発して、エジプト、インド、中国、日本、アメリカなどを旅して回る。最後は時差による一日のずれでスピード周りレースに勝つという素敵なストーリーである。&#13;
　ただ時には時差に泣くこともある。フランス、英国で開催中のラグビーのワールドカップ（W杯）取材で旅しているため、時差を勘違いして、締め切り日を間違ったのである。まずい。えらく迷惑をかけた。ワインボケ、かつ時差ぼけ頭を抱えて、壊れそうなパソコンに向かうのだった。&#13;
　ジャパンは、前回大会に比べると、よく戦った。豪州、ウェールズに大敗しながらも、フィジーにはあと一歩と迫り、カナダには劇的ドローに追いついた。　１分け３敗の結果はともかく、低くひたむきなタックルはフランス人の感動を呼んだ。あのフィジー戦のラスト５分の猛攻、記者席にいて興奮で鳥肌が立った。心で「いけぇ～！」と叫んでいた。　スタジアムの総立ちの拍手だけでなく、何度、トゥールーズの町角で「お～、ジャポン！」と握手を求められたことか。ちょっぴり気分がいいではないか。　早稲田OBのCTB今村雄太、SH矢富勇毅らも好プレーを見せた。豪州戦の怪我で戦列離脱したナンバー８佐々木隆道も体を張っていた。やはり大きな舞台を経験すると、プレーも顔つきも変わってくる。　試合に出なくても、バックアップメンバーのフッカー青木佑輔はくさらずチームに献身的に動いていた。ジャパン最終戦のカナダ戦の時でも、試合前には赤い日本の応援ウチワを市民に配っていた。ちょっと雑談すれば、ワールドカップへの意欲が言葉からほとばしるのである。「試合に出場できず、残念でした。次の大会まで4年も待たないといけません。でも次は絶対にプレーします」。いいぞ、いいぞ。つい応援したくなる。&#13;
　ワールドカップはいい。セ・ボンである。トレビアンである。記者（とくにフリーランスは）だってつらいことはいっぱいあるけれど、ワールドカップは楽しいのだ。だから、自腹を切って、諸々の事柄をうっちゃって、50日余も重いスーツケース２つを抱えて英国、フランスを旅して回るのである。　むろん会社員ではないから、空いた時間にはやりたいことはなんでもやる。基本的に単独行動を旨とする。海外に出たら、極力、ひとりで哲学するのである。　　ジャパンの最終戦が終わった翌日の26日、ボルドーで半日のシャトー巡りバスツアーに参加した。「シャトー」はふつう城の意味だけれど、ボルドーではブドウの栽培からワインの製造、瓶詰めまで行う製造所を指す。　ひとり37ユーロ（約6千円）とちょっと高い。狙いはもちろん、いろんなワインのテイスティングである。ボルドー近くのサンテミリオン（高級ワインの産地）まで行った。　ひとつの製造所での農場の案内役おっさんがわかりやすく教えてくれる。ガイドが英語で通訳する。テイスティングでは、まず目でワインの色合いを見て、鼻で香りを嗅ぎ、口で味を吟味するのだそうだ。「５年寝かせないワインはベイビーみたいなものだ」「ちょっとスパイシー、でもリッチでしょ」「この年のヤングなワインはパワフルだ」。なんて嘆息交じりに言葉が漏れる。　へえ～、と思ったのは、ブレンドものが決して悪くないということだった。パワフルな年のワインとマイルドな年、あるいは渋みある年のワインを混ぜると、奥の深い上物が誕生することもある。どうでしょ。なんだかラグビーのチームと同じだと思いませんか。　そういえば、同じ日の午前中のジャパン総括会見の後、主将の箕内拓郎はチームをワインに例えてくれた。「まだジャパンは全体的に若かった。ほろ苦い味でした。あと４年、寝かせないとダメですね」と。&#13;
　嗚呼、今村くん、矢富くん、佐々木くん、青木くんらがあと４年、熟成されれば、どんな味を出すのか。楽しみではないか。&#13;
　じつはリヨンからトゥールーズにひとりで移動する列車（TGV）の中で一張羅の高級ジャケットを盗まれてしまった。情けない。　落ち込んでいたときに触れたからか、トゥールーズでもらったパンフレットの言葉が気に入った。ちなみにトゥールーズはラグビーの街である。&#13;
＜トゥールーズは、スクラムの真っ只中でも時にはほっと息のつけるそんな街＞</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/381</id>
    <title>Vol.50 「再起」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=381"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2007-08-30T11:37:00+09:00</updated>
    <published>2007-08-30T11:43:33+09:00</published>
    <summary>　東か西か。夏の終わりの８月29日。どちらの国際空港に飛んでいこうか、ほんとうに迷った。&#13;
　東の成田空港では、問題の横綱朝青龍がついに母国モンゴルに飛び立つ。西の関西空港では、ラグビーの大畑大介がワールドカップ（Ｗ杯）から離れ、帰国する。どちらの顔もみたい。どうする、どうする。じつは結局、目の前の締め切り原稿のヤマを無視できず、自宅から離れられなかった。ああ情けない。&#13;
　朝青龍、世間の風は想像以上につめたかった。孤高の悪玉の悲哀か、世の無情を思ったことだろう。最初の巡業欠席の「仮病」が大事となり、「ココロの病」まで発展した。これはシロウトがあれこれ言える範疇ではなく、もう推移を見守るだけである。　それにしても、中田英寿がいなければ、テレビが放送しなければ、ここまで大騒ぎにはならなかった。モンゴルでの親族ビジネス、所得の申告漏れが輪をかけた。人生はわからない。ひょっとすると、このまま引退となるのではないか。　朝青龍はともかく、師匠の高砂親方（元大関朝潮）の心中はどうなのだ。そちらのほうに興味が沸く。３、４年前、某新聞の連載取材で横綱に昇進した朝青龍と高砂親方を２カ月間ほど、追いかけた。高知にもいった。　ふたりの仲はさほど、悪くなかった。親方は朝青龍を「光る石」と表現し、たしか「出世のスピードに精神的成長が追いつかないのだ」とわらっていた。稽古で朝青龍が声を荒げると、「自分の感情を抑えられなくて、なぜ相手に勝てるのだ」と諭していた。　親方はこんなことも言っていた。「私もあなたに負けないよう、横綱を持つ親方として勉強する。あなたは横綱として、何をすべきか、勉強しなさい」と。　親方は弟子を見守る姿勢を変えなかった。いや厳しくできなかった。弟子が優勝すれば、大金が部屋に転がり込んでくる。やがて師弟関係は薄れ、親方の立場はどんどん弱くなっていった。朝青龍を「子ども同然」と見ていたけれど、結果論でいえば、指導法にどこか問題があったのだろう。　当時、朝青龍の反応にオヤっと思ったことがある。高砂親方を父親と比較したら、と聞いたら、「そんなことができるか」と激怒されたことがある。たぶん横綱は親方を親ほど尊敬していなかったのだろう。　この両者のギャップがこんかいの不幸を招いたのではないか。価値観や文化のちがい、国民性のちがい、もあっただろう。&#13;
　さて。　大畑はさぞ、つらかっただろう。　右アキレス腱断裂を克服したというのに、Ｗ杯開幕直前にこんどは左アキレス腱を断裂してしまった。３度目のＷ杯出場が消えた。関西空港を取材した記者に電話で聞いたら、松葉づえ姿の大畑は空港で気丈に振舞ったという。「ああ、こんな姿で帰ってきたなかったなあ」。そうボソッと漏らしたそうだ。　一見派手に見えるオトコだけれど、じつはすごい努力家である。責任感もつよい。何度かのインタビューで過酷なリハビリの話を聞いていたから、こちらまで泣けてくる。どうせ切るのならＷ杯の舞台で、と思うのは、あんまりだろうか。　自分をとことん追い込むオトコである。無理がたたったのだろう。そういえば、７月下旬の北海道・中標津の合宿で左足が「イタイ、イタイ」とこぼしていた。次に怪我するなら左足でしょ、とも。　もう31歳だ。大畑本人は「再起」を目指すと言い切った。でも現実はそう甘くない。こんどは「時間」があるけれど、おおきな「目標」がない。モチベーションを維持できるのか。ポイントは信頼できるドクター、トレーナの存在、支援体制の確立だろう。　　『再起』に向け、朝青龍も大畑も歩き出す。事情はまったく異なるけれど、ひとりではたぶん難しいだろう。所詮、人はひとりでは生きられない、苦しいときこそ、とくにそう思うのである。</summary>
    <content type="text">　東か西か。夏の終わりの８月29日。どちらの国際空港に飛んでいこうか、ほんとうに迷った。&#13;
　東の成田空港では、問題の横綱朝青龍がついに母国モンゴルに飛び立つ。西の関西空港では、ラグビーの大畑大介がワールドカップ（Ｗ杯）から離れ、帰国する。どちらの顔もみたい。どうする、どうする。じつは結局、目の前の締め切り原稿のヤマを無視できず、自宅から離れられなかった。ああ情けない。&#13;
　朝青龍、世間の風は想像以上につめたかった。孤高の悪玉の悲哀か、世の無情を思ったことだろう。最初の巡業欠席の「仮病」が大事となり、「ココロの病」まで発展した。これはシロウトがあれこれ言える範疇ではなく、もう推移を見守るだけである。　それにしても、中田英寿がいなければ、テレビが放送しなければ、ここまで大騒ぎにはならなかった。モンゴルでの親族ビジネス、所得の申告漏れが輪をかけた。人生はわからない。ひょっとすると、このまま引退となるのではないか。　朝青龍はともかく、師匠の高砂親方（元大関朝潮）の心中はどうなのだ。そちらのほうに興味が沸く。３、４年前、某新聞の連載取材で横綱に昇進した朝青龍と高砂親方を２カ月間ほど、追いかけた。高知にもいった。　ふたりの仲はさほど、悪くなかった。親方は朝青龍を「光る石」と表現し、たしか「出世のスピードに精神的成長が追いつかないのだ」とわらっていた。稽古で朝青龍が声を荒げると、「自分の感情を抑えられなくて、なぜ相手に勝てるのだ」と諭していた。　親方はこんなことも言っていた。「私もあなたに負けないよう、横綱を持つ親方として勉強する。あなたは横綱として、何をすべきか、勉強しなさい」と。　親方は弟子を見守る姿勢を変えなかった。いや厳しくできなかった。弟子が優勝すれば、大金が部屋に転がり込んでくる。やがて師弟関係は薄れ、親方の立場はどんどん弱くなっていった。朝青龍を「子ども同然」と見ていたけれど、結果論でいえば、指導法にどこか問題があったのだろう。　当時、朝青龍の反応にオヤっと思ったことがある。高砂親方を父親と比較したら、と聞いたら、「そんなことができるか」と激怒されたことがある。たぶん横綱は親方を親ほど尊敬していなかったのだろう。　この両者のギャップがこんかいの不幸を招いたのではないか。価値観や文化のちがい、国民性のちがい、もあっただろう。&#13;
　さて。　大畑はさぞ、つらかっただろう。　右アキレス腱断裂を克服したというのに、Ｗ杯開幕直前にこんどは左アキレス腱を断裂してしまった。３度目のＷ杯出場が消えた。関西空港を取材した記者に電話で聞いたら、松葉づえ姿の大畑は空港で気丈に振舞ったという。「ああ、こんな姿で帰ってきたなかったなあ」。そうボソッと漏らしたそうだ。　一見派手に見えるオトコだけれど、じつはすごい努力家である。責任感もつよい。何度かのインタビューで過酷なリハビリの話を聞いていたから、こちらまで泣けてくる。どうせ切るのならＷ杯の舞台で、と思うのは、あんまりだろうか。　自分をとことん追い込むオトコである。無理がたたったのだろう。そういえば、７月下旬の北海道・中標津の合宿で左足が「イタイ、イタイ」とこぼしていた。次に怪我するなら左足でしょ、とも。　もう31歳だ。大畑本人は「再起」を目指すと言い切った。でも現実はそう甘くない。こんどは「時間」があるけれど、おおきな「目標」がない。モチベーションを維持できるのか。ポイントは信頼できるドクター、トレーナの存在、支援体制の確立だろう。　　『再起』に向け、朝青龍も大畑も歩き出す。事情はまったく異なるけれど、ひとりではたぶん難しいだろう。所詮、人はひとりでは生きられない、苦しいときこそ、とくにそう思うのである。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/375</id>
    <title>Vol.49 「酒」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=375"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2007-07-31T11:33:00+09:00</updated>
    <published>2007-07-31T11:38:01+09:00</published>
    <summary>　参院選が終わった。『自民歴史的大敗』。新聞の一面見出しを見て、つい笑みがこぼれる。そりゃそうだ。こんなデタラメな政権政党が勝つわけがない。&#13;
　対照的に民主党の関係者は深夜、祝い酒でも飲んだことだろう。でも飲んだら乗るな。乗るなら飲むな、である。『酒酔い運転』はインテンショナルな犯罪なのだ。断じて、許してはならない。断じて…。&#13;
　何の話かといえば、フィギュアスケートの織田信成くんの酒気帯び運転のことだった。テレビを通して、関西大学の会見の様子をみた。「応援してくださっているたくさんの人に…」と涙ぐんで言葉をつまらせた。　どうでもいいけど、よく泣くオトコだな。勝って泣き、負けて泣き、罪を犯しても泣きべそをかく。泣けば済むというものじゃないだろう、と怒りをおぼえる。　たしかに運が悪かったという人もいるだろう。織田くんは大学の教職員とサウナ（なぜ？）と焼肉店で相談し、いくらかの酒を飲んだ。たぶんゴチになったんだろう。そしてバイクに乗った。たまたま警察に見つかり、検挙された。バッド・ラック…。　でも、事故を起こさなかったことはラッキーだった。人身事故でも起していたら、選手生命が終わっていたかもしれない。この程度で済んだことをヨシとすべきじゃないのか。　織田くんは会見で言った。「アスリートとして安易にお酒を飲み、酒気帯びと分かっていて、何でバイクに乗ったんやろと自分が情けない」。安易に酒を飲むことは決して悪くない。いたずらに酒仙を貶めるな。酔っ払ってバイクを運転するのが悪いのだ。　ここでトップ選手の自覚云々を指摘するのもアホらしい。20歳のオトコが金と名誉を持つと、そりゃ少しは自己規制も緩むのだろう。羽目を外すこともある。　本人の行動は論外として、問題はむしろ周りの人々じゃないのか。よき指導者に恵まれていないことをかわいそうに思う。　自身のことを思う。スポーツを経験した人なら、一人や二人、規律にうるさかった監督やコーチ、先輩を思い浮かべることだろう。理屈ではなく、ワルさするとあの人が悲しむから、先輩が怒るからと、一線を踏みとどまることもある。　社会で生きるとは、そういうことではないのか。両親からしつけを受け、学校、チームで社会生活のルールをまなぶ。してはならないこと、それは多くの場合、「他人に迷惑をかけること」「ウソをつくこと」「アンフェアなこと」などと指導をうける。　　日曜日、参院選の投票の後、ソフトボールの全日本クラブ選手権をみにいった。親しい選手がいるからだった。安藤美佐子という五輪メダリストである。３年前に実業団を離れ、いまは地域クラブでプレーしている。　環境はきびしい。選手は別々の会社で働きながら、夕方、一緒に練習する。雑談でこの『酒気帯び運転』の話になった。　36歳の彼女も怒っていた。「こんなことはダメ、絶対ダメです。若い選手には、飲んだら、絶対、車に乗るなと言っています。嫌われても、何度も何度も。環境に恵まれ、結果だけにこだわっていると、甘い落としアナに落ちる。そんな時は周りがちゃんと教えてやらないといけない。スポーツをするとは、結局、そういうことです」　つまるところ、指導者や年長者は若者に嫌われることを恐れてはならないということだろう。規律やマナーは大事なのだ。　　余談。交通違反といえば。　じつは先日、北海道をレンタカーで旅した。中標津から夕張まで延々、８時間運転した。車なんて滅多に通らない国道も走った。10分間ほど、対向車はゼロだった。右折しようとして、止まるぐらいまで減速し、ゆっくりゆっくり曲がった。　その瞬間、そばの森の陰から、パトカーのサイレンが鳴り出した。「一時停止無視」で捕まった。「止まりました」と主張したけれど、「ちゃんと止まらなかった」と言われた。「罰金７千円」「減点２」である。　隠れているのはずるいじゃないの、と言ったら、老いた警官から一笑に付された。「パトカーがいたらみんな止まるだろう」　ここなら、よく捕まるでしょ。「ははは。１時間で２台目かな」　なんだか…。森の陰にクマみたいに隠れていないで、酒飲み運転やスピード違反を捕まえてくださいよ。すいません。</summary>
    <content type="text">　参院選が終わった。『自民歴史的大敗』。新聞の一面見出しを見て、つい笑みがこぼれる。そりゃそうだ。こんなデタラメな政権政党が勝つわけがない。&#13;
　対照的に民主党の関係者は深夜、祝い酒でも飲んだことだろう。でも飲んだら乗るな。乗るなら飲むな、である。『酒酔い運転』はインテンショナルな犯罪なのだ。断じて、許してはならない。断じて…。&#13;
　何の話かといえば、フィギュアスケートの織田信成くんの酒気帯び運転のことだった。テレビを通して、関西大学の会見の様子をみた。「応援してくださっているたくさんの人に…」と涙ぐんで言葉をつまらせた。　どうでもいいけど、よく泣くオトコだな。勝って泣き、負けて泣き、罪を犯しても泣きべそをかく。泣けば済むというものじゃないだろう、と怒りをおぼえる。　たしかに運が悪かったという人もいるだろう。織田くんは大学の教職員とサウナ（なぜ？）と焼肉店で相談し、いくらかの酒を飲んだ。たぶんゴチになったんだろう。そしてバイクに乗った。たまたま警察に見つかり、検挙された。バッド・ラック…。　でも、事故を起こさなかったことはラッキーだった。人身事故でも起していたら、選手生命が終わっていたかもしれない。この程度で済んだことをヨシとすべきじゃないのか。　織田くんは会見で言った。「アスリートとして安易にお酒を飲み、酒気帯びと分かっていて、何でバイクに乗ったんやろと自分が情けない」。安易に酒を飲むことは決して悪くない。いたずらに酒仙を貶めるな。酔っ払ってバイクを運転するのが悪いのだ。　ここでトップ選手の自覚云々を指摘するのもアホらしい。20歳のオトコが金と名誉を持つと、そりゃ少しは自己規制も緩むのだろう。羽目を外すこともある。　本人の行動は論外として、問題はむしろ周りの人々じゃないのか。よき指導者に恵まれていないことをかわいそうに思う。　自身のことを思う。スポーツを経験した人なら、一人や二人、規律にうるさかった監督やコーチ、先輩を思い浮かべることだろう。理屈ではなく、ワルさするとあの人が悲しむから、先輩が怒るからと、一線を踏みとどまることもある。　社会で生きるとは、そういうことではないのか。両親からしつけを受け、学校、チームで社会生活のルールをまなぶ。してはならないこと、それは多くの場合、「他人に迷惑をかけること」「ウソをつくこと」「アンフェアなこと」などと指導をうける。　　日曜日、参院選の投票の後、ソフトボールの全日本クラブ選手権をみにいった。親しい選手がいるからだった。安藤美佐子という五輪メダリストである。３年前に実業団を離れ、いまは地域クラブでプレーしている。　環境はきびしい。選手は別々の会社で働きながら、夕方、一緒に練習する。雑談でこの『酒気帯び運転』の話になった。　36歳の彼女も怒っていた。「こんなことはダメ、絶対ダメです。若い選手には、飲んだら、絶対、車に乗るなと言っています。嫌われても、何度も何度も。環境に恵まれ、結果だけにこだわっていると、甘い落としアナに落ちる。そんな時は周りがちゃんと教えてやらないといけない。スポーツをするとは、結局、そういうことです」　つまるところ、指導者や年長者は若者に嫌われることを恐れてはならないということだろう。規律やマナーは大事なのだ。　　余談。交通違反といえば。　じつは先日、北海道をレンタカーで旅した。中標津から夕張まで延々、８時間運転した。車なんて滅多に通らない国道も走った。10分間ほど、対向車はゼロだった。右折しようとして、止まるぐらいまで減速し、ゆっくりゆっくり曲がった。　その瞬間、そばの森の陰から、パトカーのサイレンが鳴り出した。「一時停止無視」で捕まった。「止まりました」と主張したけれど、「ちゃんと止まらなかった」と言われた。「罰金７千円」「減点２」である。　隠れているのはずるいじゃないの、と言ったら、老いた警官から一笑に付された。「パトカーがいたらみんな止まるだろう」　ここなら、よく捕まるでしょ。「ははは。１時間で２台目かな」　なんだか…。森の陰にクマみたいに隠れていないで、酒飲み運転やスピード違反を捕まえてくださいよ。すいません。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/15/368</id>
    <title>Vol.48 「努力」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=368"/>
    <author>
      <name>早川 晶子</name>
    </author>
    <updated>2007-07-02T16:22:00+09:00</updated>
    <published>2007-07-02T16:36:53+09:00</published>
    <summary>　努力は運を支配する。&#13;
　ほんとうか？&#13;
　さあ春の大学ラグビーの大一番、早稲田×関東学院である。７月１日。え～と、会場が神奈川・三ツ沢競技場か。とおいッ。でも必見である。三ツ沢、三ツ沢、とひとり口ずさんでいたら、遠い記憶がよみがえった。　むかしＪＲ横浜駅西口のタクシー乗り場で宿澤広朗さんとばったりあったのだった。タクシーで一緒に三ツ沢競技場までいった。たしか短い時間だったけれど、いろんな話をしたなあ。ああ懐かしい。　宿澤さんが天に召されて、ちょうど1年が経った。はやい。自宅そばの書店で『宿澤広朗～運を支配した男』（加藤仁著・講談社刊）を買った。片道１時間半、この本のページをめくる。ＪＲ東海道線の川崎駅を越えたあたりでぶつかったのが、冒頭のくだりだった。　＜「努力が運を支配する」という強い信念のもと、人知れぬ努力によって宿澤が…＞と。　努力の尊さはともかく、正直にいえば、「運を支配する」とまで言い切ることに違和感を抱いたのだ。&#13;
　試合は午後５時、キックオフとなった。早稲田の完勝だった。梅雨の蒸し暑さを吹き飛ばすかのように、プロップ畠山健介くん、ＦＢ五郎丸歩くんが走りまくった。とくにＦＷの接点のど迫力、ＢＫの防御の圧力に、春のシーズンの『努力』の跡がうかがえた。　余談を言えば、競技場のビールがぼかすか売れていた。つい聞きたくなるじゃないの。いかほど？「うふふふ。18ケースはさばけた。そう24缶入りだから…。え～と、400本は売れたよ。ありがと」。ちなみに１つ、500円だった。じつは、こっそり飲んだ（ゴメンナサイ。祝杯です）。&#13;
　ゲームに戻る。　宿澤さんを思い出したので、珍しくＳＨの動きを追いかけた。早稲田が５年目の三井大祐くんである。　昨年度まではタックルがちょっと弱かったので下のチームでプレーしていた。でも変わった。ディフェンスでは体を張った。球さばきも悪くない。素早いバッキングアップ、こぼれ球への猛セービングに、「ほ～」とひとり拍手を送ったのだった。　ノーサイドの笛がなると、まずストッキングをきちっと上げる。バックスタンド前では、いつまでもファンのサインの求めに応じていた。こういった律儀さはキライではない。　５年目だから、そりゃ覚悟はあるだろう。左手には地味なミサンガ。「去年の４年生のやつの分もとの思いがあります。絶対、負けられない」。心がけていることは。「体を張ることが一番ですね」　ＳＨコーチの前田隆介くんと話をする。あえて宿澤さんと似ているところを聞くと、「状況をみることじゃないですか」と教えてくれた。「ウラが見える。勝負勘がいい。ゲームコントロール能力が高いんです」と。　コーチの言葉を本人に伝えると、三井くんははにかんだ。「ちょっと褒め過ぎましたね、前田さん。ハズカシイ」。ところで努力は運を支配すると思いますか？「やっぱり努力しないと試合で不安があったり、努力しただけ自信が持てたり…。練習量が自信につながると思います」。いい顔をしている。眼が良かった。&#13;
　ついでに関東学院大のロッカー室へ走る。汗が噴き出す。ＳＨ中村健太郎くんをつかまえる。２年生。高校時代はバスケットボール部だから、ラグビー歴はまだ１年である。　春口監督もよくこんな選手を抜擢するなと感心する。「あなたの努力とは」なんて、へんてこな質問をする。「はあ～。人よりラグビーボールに触ってきた時間が少ないので、学校でも寮でも、ずーっとボールに触っています」。ところで努力は運を支配すると思いますか？「努力って言葉、好きです。自分は、“努力の上に花が咲く”と思っています」　ここに敗軍の将、春口さんがよろよろと登場する。な、なんだ。「完敗とか屈辱とか、しゃべれるラグビーじゃない。こんなのじゃ歴史つくった先輩に申し訳ないじゃない。ああ、並以下のチームになっちゃった」　ショックはともかく、努力は運を支配すると思いますか、と強引に持ち込む。「報われない努力はない。これは断言できる。でも努力が報われる、よくなるとは限らない。ちょっと違うでしょ。努力すれば必ずしも成功するとは限らない」。う～ん、なんだか一休さん状態である、禅問答のごとしか。「だから報われるかどうかは本人が決めることなんだ」&#13;
　つまりは努力とは観念的なものである。「努力は運を支配する」、いや「努力は運を左右する」ほうが個人としてはハマル。&#13;
　努力しても死は避けられない。でも生き様は変えられる。だから人は努力するのではないか。限られた命を濃密とするために。　先月、３つ上の兄が急死した。こんな言葉を知っているか、と友が言った。&#13;
　　＜散るサクラ　　　　　　残るサクラも　　　　　　　　散るサクラ＞</summary>
    <content type="text">　努力は運を支配する。&#13;
　ほんとうか？&#13;
　さあ春の大学ラグビーの大一番、早稲田×関東学院である。７月１日。え～と、会場が神奈川・三ツ沢競技場か。とおいッ。でも必見である。三ツ沢、三ツ沢、とひとり口ずさんでいたら、遠い記憶がよみがえった。　むかしＪＲ横浜駅西口のタクシー乗り場で宿澤広朗さんとばったりあったのだった。タクシーで一緒に三ツ沢競技場までいった。たしか短い時間だったけれど、いろんな話をしたなあ。ああ懐かしい。　宿澤さんが天に召されて、ちょうど1年が経った。はやい。自宅そばの書店で『宿澤広朗～運を支配した男』（加藤仁著・講談社刊）を買った。片道１時間半、この本のページをめくる。ＪＲ東海道線の川崎駅を越えたあたりでぶつかったのが、冒頭のくだりだった。　＜「努力が運を支配する」という強い信念のもと、人知れぬ努力によって宿澤が…＞と。　努力の尊さはともかく、正直にいえば、「運を支配する」とまで言い切ることに違和感を抱いたのだ。&#13;
　試合は午後５時、キックオフとなった。早稲田の完勝だった。梅雨の蒸し暑さを吹き飛ばすかのように、プロップ畠山健介くん、ＦＢ五郎丸歩くんが走りまくった。とくにＦＷの接点のど迫力、ＢＫの防御の圧力に、春のシーズンの『努力』の跡がうかがえた。　余談を言えば、競技場のビールがぼかすか売れていた。つい聞きたくなるじゃないの。いかほど？「うふふふ。18ケースはさばけた。そう24缶入りだから…。え～と、400本は売れたよ。ありがと」。ちなみに１つ、500円だった。じつは、こっそり飲んだ（ゴメンナサイ。祝杯です）。&#13;
　ゲームに戻る。　宿澤さんを思い出したので、珍しくＳＨの動きを追いかけた。早稲田が５年目の三井大祐くんである。　昨年度まではタックルがちょっと弱かったので下のチームでプレーしていた。でも変わった。ディフェンスでは体を張った。球さばきも悪くない。素早いバッキングアップ、こぼれ球への猛セービングに、「ほ～」とひとり拍手を送ったのだった。　ノーサイドの笛がなると、まずストッキングをきちっと上げる。バックスタンド前では、いつまでもファンのサインの求めに応じていた。こういった律儀さはキライではない。　５年目だから、そりゃ覚悟はあるだろう。左手には地味なミサンガ。「去年の４年生のやつの分もとの思いがあります。絶対、負けられない」。心がけていることは。「体を張ることが一番ですね」　ＳＨコーチの前田隆介くんと話をする。あえて宿澤さんと似ているところを聞くと、「状況をみることじゃないですか」と教えてくれた。「ウラが見える。勝負勘がいい。ゲームコントロール能力が高いんです」と。　コーチの言葉を本人に伝えると、三井くんははにかんだ。「ちょっと褒め過ぎましたね、前田さん。ハズカシイ」。ところで努力は運を支配すると思いますか？「やっぱり努力しないと試合で不安があったり、努力しただけ自信が持てたり…。練習量が自信につながると思います」。いい顔をしている。眼が良かった。&#13;
　ついでに関東学院大のロッカー室へ走る。汗が噴き出す。ＳＨ中村健太郎くんをつかまえる。２年生。高校時代はバスケットボール部だから、ラグビー歴はまだ１年である。　春口監督もよくこんな選手を抜擢するなと感心する。「あなたの努力とは」なんて、へんてこな質問をする。「はあ～。人よりラグビーボールに触ってきた時間が少ないので、学校でも寮でも、ずーっとボールに触っています」。ところで努力は運を支配すると思いますか？「努力って言葉、好きです。自分は、“努力の上に花が咲く”と思っています」　ここに敗軍の将、春口さんがよろよろと登場する。な、なんだ。「完敗とか屈辱とか、しゃべれるラグビーじゃない。こんなのじゃ歴史つくった先輩に申し訳ないじゃない。ああ、並以下のチームになっちゃった」　ショックはともかく、努力は運を