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  <title>楕円球コラム　「スタンドから」</title>
  <subtitle>ラグビー大好きな競馬ライター木村俊太氏が、一ファンの視点でラグビーの魅力や疑問点を語ります。</subtitle>
  <updated>2006-10-16T11:23:35+09:00</updated>
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    <name>WASEDA CLUB</name>
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    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/16/486</id>
    <title>Vol.60 「ナイトゲーム反対論」</title>
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      <name>WASEDA CLUB</name>
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    <updated>2008-06-24T11:31:00+09:00</updated>
    <published>2008-06-24T11:33:10+09:00</published>
    <summary>　2008－2009シーズンのトップリーグの試合日程が発表された。　９月５日（金）、秩父宮ラグビー場で開幕戦が行われる。サントリー対三洋電機。恒例ながら、前年度に優勝を争った２チームが開幕戦でいきなり激突する。この２チームはどうしてもこの試合にピークを持っていかざるを得ない。コンディション作りの大変さ、さらにそれ以後のコンディション・キープの大変さは想像するにあまりある。　だからこそ、この開幕戦は見逃せない。今シーズンを占う一戦となること必至である。&#13;
　さて、この試合、キックオフの時間が19：30である。昨シーズンから秩父宮に照明塔が設置され、ナイトゲームができるようになったのだ。　このナイトゲーム、筆者ははっきり言って反対である。　理由その一。地球温暖化防止の流れに反する。　もちろん、ナイトゲームを止めたからといって地球温暖化が解消されるなどと思っているわけではない。影響だって、まあ、微々たるものだろう。しかし、一人ひとりが家の電気をこまめに消しましょうなんてちまちましたキャンペーンを張っている一方で、それはないでしょうというのが正直な感想だ。とりあえず協会の皆様には、地球温暖化についてどうお考えなのか、お尋ねしたいところだ。「野球だって、サッカーだって、ナイトゲームをやっているではないか。そもそも街中では至るところでライトアップがなされている。ラグビーがナイトゲームをやったっていいじゃないか」というお考えならば、「そうですか」と言うしかない。&#13;
　理由その二。子どもを観戦に連れて行けない。　実は反対の最大の理由はこれである。19：30キックオフ、終了は21：00を確実に回る。次の日が休みだからといっても、さすがにこれでは子どもは連れて行けない。子どもだけでなど、もってのほかである。　このコラムのどこかで書いたが、筆者は中学１年のとき、クラスの友人数名と国立競技場にラグビーを観に行った。このときの感動は今でも忘れられないし、この体験があったからこそ、いまこうしてこんな文章を書かせてもらっているとさえ思っている。　サラリーマンがビールを飲みながら観戦するにはいいのかもしれないが、子どもたちが観戦するのには最悪だ。若年層を切り捨てる戦略なのだ。　これも協会の皆様に伺ってみたい。最も盛り上がる試合で、なぜわざわざ、若年層を切り捨てるのか。「サラリーマンが会社帰りにふらっと競技場に寄れる環境を作ったのだ。若年層は昼のゲームに来ればいい」というお考えならば、「そうですか」と言うしかない。&#13;
　理由その三。終わった後に飲みに行けない。　ラグビー観戦にはもれなく、一緒に観戦した友人との激論がついてくる。観客は、試合前には期待に胸を熱くし、試合中は一プレー一プレーに胸を熱くし、試合後はにわか評論家となり、友人との激論に胸を熱くするのだ。この激論が酒の席で行われるのもまた必然である。　だが、21：00過ぎに終了。競技場を出るのが21：30頃。繁華街へ着くのは22：00過ぎ。店によっては閉店してしまっている。運よく入れても、終電まで間もない。激論に胸を熱くする暇もなく、不完全燃焼のまま、家路に着くことになる。　理由その二のように子どもを連れて行った場合は、食事をしながらの子どもとの語らいの時間がこれに当たる。喫茶店なり、レストランなりに入って、落ち着いた状態で「今日は楽しかったな」と言いながら、食事をする。これがラグビー観戦をさらに魅力的なものにするのだ。子どもにとっては、ラグビー観戦というのは楽しくて、おいしくて、何か温かいものになる。「もう一度行きたいな」と思わせる仕掛けがここにあるのだ。　これについても協会の皆様にお聞きしたい。なぜ、試合の余韻を楽しむ時間を奪うのか。「酒が飲みたいなら、スタンドで生ビールを飲めばいい」というお考えならば、「そうですか」と言うしかない。&#13;
　他にも瑣末な理由がいくつかあるが、ここではとりあえずこの三つを挙げておきたい。&#13;
　では、これら三つを犠牲にしてでも得られるものがナイトゲームにあるのだろうか。あるとすればただ一つ、観客動員数の増加であろう。ナイトゲームによって観客動員数が大幅に増加するのならば、筆者が挙げた三つの理由など協会の皆様にとっては「そうですか」という話だ。　2006－2007シーズンと2007－2008シーズンの二シーズンで、都内で行われたナイトゲームの観客動員数を挙げてみる。参考として、2005－2006シーズンの開幕戦二試合の観客動員数も併記する。&#13;
2007－200810/26（金）　　　東芝―サントリー　秩父宮　19：30KO　雨時々やむ　9037人10/27（土）　　　リコー―日本IBM　秩父宮　19：00KO　大雨強風　 1077人&#13;
2006－20079/１（金）　　　　東芝―NEC　　　国立　　　19：02KO　曇り無風　15418人9/2（土）　コカ・コーラウエスト―日本IBM　江戸川　19：02KO　晴　1710人&#13;
2005－20069/17（土）　　　東芝府中―神戸製鋼　秩父宮　13：02KO　晴　微風　9724人9/17（土）　　　クボタ―ヤマハ　　　秩父宮　15：08KO　晴　無風　10926人&#13;
2006－2007シーズンの開幕戦での15418人というのは突出している。これがナイトゲームの影響なのか、2007年へ向けてのワールドカップ予選が続くなかでの盛り上がりなのか、判断に迷うところだ。　秩父宮でのナイトゲームに特化すると、2007－2008の開幕戦ということになるのだが、雨なのでこの数字をそのまま評価することができない。&#13;
　というわけで、ナイトゲームの真価が問われるのは今シーズンだということになる。無論、天候に左右されるのだが、今シーズンは例年（昨年）と比べてかなり多くのナイトゲームが組まれている（特に金曜のナイトゲームが注目）。そのすべてが雨になることはないだろうから、ナイトゲームの集客力を測ることができるに違いない。　ここで仮に2005－2006シーズンをはるかに越える集客力が発揮されたとしても、筆者のナイトゲーム反対論は揺るがない。理由その二があるからだ。将来のファンを育てることを犠牲にして現在のファンを増やす方策には賛同できない。&#13;
　だがもし、現場の選手たちから「9月、10月のくそ暑い真っ昼間に、ラグビーなんかできるかい」と言われてしまったら、「そうですか」と言うしかない。いや、協会の皆様に日程の再考を願うしかない。</summary>
    <content type="text">　2008－2009シーズンのトップリーグの試合日程が発表された。　９月５日（金）、秩父宮ラグビー場で開幕戦が行われる。サントリー対三洋電機。恒例ながら、前年度に優勝を争った２チームが開幕戦でいきなり激突する。この２チームはどうしてもこの試合にピークを持っていかざるを得ない。コンディション作りの大変さ、さらにそれ以後のコンディション・キープの大変さは想像するにあまりある。　だからこそ、この開幕戦は見逃せない。今シーズンを占う一戦となること必至である。&#13;
　さて、この試合、キックオフの時間が19：30である。昨シーズンから秩父宮に照明塔が設置され、ナイトゲームができるようになったのだ。　このナイトゲーム、筆者ははっきり言って反対である。　理由その一。地球温暖化防止の流れに反する。　もちろん、ナイトゲームを止めたからといって地球温暖化が解消されるなどと思っているわけではない。影響だって、まあ、微々たるものだろう。しかし、一人ひとりが家の電気をこまめに消しましょうなんてちまちましたキャンペーンを張っている一方で、それはないでしょうというのが正直な感想だ。とりあえず協会の皆様には、地球温暖化についてどうお考えなのか、お尋ねしたいところだ。「野球だって、サッカーだって、ナイトゲームをやっているではないか。そもそも街中では至るところでライトアップがなされている。ラグビーがナイトゲームをやったっていいじゃないか」というお考えならば、「そうですか」と言うしかない。&#13;
　理由その二。子どもを観戦に連れて行けない。　実は反対の最大の理由はこれである。19：30キックオフ、終了は21：00を確実に回る。次の日が休みだからといっても、さすがにこれでは子どもは連れて行けない。子どもだけでなど、もってのほかである。　このコラムのどこかで書いたが、筆者は中学１年のとき、クラスの友人数名と国立競技場にラグビーを観に行った。このときの感動は今でも忘れられないし、この体験があったからこそ、いまこうしてこんな文章を書かせてもらっているとさえ思っている。　サラリーマンがビールを飲みながら観戦するにはいいのかもしれないが、子どもたちが観戦するのには最悪だ。若年層を切り捨てる戦略なのだ。　これも協会の皆様に伺ってみたい。最も盛り上がる試合で、なぜわざわざ、若年層を切り捨てるのか。「サラリーマンが会社帰りにふらっと競技場に寄れる環境を作ったのだ。若年層は昼のゲームに来ればいい」というお考えならば、「そうですか」と言うしかない。&#13;
　理由その三。終わった後に飲みに行けない。　ラグビー観戦にはもれなく、一緒に観戦した友人との激論がついてくる。観客は、試合前には期待に胸を熱くし、試合中は一プレー一プレーに胸を熱くし、試合後はにわか評論家となり、友人との激論に胸を熱くするのだ。この激論が酒の席で行われるのもまた必然である。　だが、21：00過ぎに終了。競技場を出るのが21：30頃。繁華街へ着くのは22：00過ぎ。店によっては閉店してしまっている。運よく入れても、終電まで間もない。激論に胸を熱くする暇もなく、不完全燃焼のまま、家路に着くことになる。　理由その二のように子どもを連れて行った場合は、食事をしながらの子どもとの語らいの時間がこれに当たる。喫茶店なり、レストランなりに入って、落ち着いた状態で「今日は楽しかったな」と言いながら、食事をする。これがラグビー観戦をさらに魅力的なものにするのだ。子どもにとっては、ラグビー観戦というのは楽しくて、おいしくて、何か温かいものになる。「もう一度行きたいな」と思わせる仕掛けがここにあるのだ。　これについても協会の皆様にお聞きしたい。なぜ、試合の余韻を楽しむ時間を奪うのか。「酒が飲みたいなら、スタンドで生ビールを飲めばいい」というお考えならば、「そうですか」と言うしかない。&#13;
　他にも瑣末な理由がいくつかあるが、ここではとりあえずこの三つを挙げておきたい。&#13;
　では、これら三つを犠牲にしてでも得られるものがナイトゲームにあるのだろうか。あるとすればただ一つ、観客動員数の増加であろう。ナイトゲームによって観客動員数が大幅に増加するのならば、筆者が挙げた三つの理由など協会の皆様にとっては「そうですか」という話だ。　2006－2007シーズンと2007－2008シーズンの二シーズンで、都内で行われたナイトゲームの観客動員数を挙げてみる。参考として、2005－2006シーズンの開幕戦二試合の観客動員数も併記する。&#13;
2007－200810/26（金）　　　東芝―サントリー　秩父宮　19：30KO　雨時々やむ　9037人10/27（土）　　　リコー―日本IBM　秩父宮　19：00KO　大雨強風　 1077人&#13;
2006－20079/１（金）　　　　東芝―NEC　　　国立　　　19：02KO　曇り無風　15418人9/2（土）　コカ・コーラウエスト―日本IBM　江戸川　19：02KO　晴　1710人&#13;
2005－20069/17（土）　　　東芝府中―神戸製鋼　秩父宮　13：02KO　晴　微風　9724人9/17（土）　　　クボタ―ヤマハ　　　秩父宮　15：08KO　晴　無風　10926人&#13;
2006－2007シーズンの開幕戦での15418人というのは突出している。これがナイトゲームの影響なのか、2007年へ向けてのワールドカップ予選が続くなかでの盛り上がりなのか、判断に迷うところだ。　秩父宮でのナイトゲームに特化すると、2007－2008の開幕戦ということになるのだが、雨なのでこの数字をそのまま評価することができない。&#13;
　というわけで、ナイトゲームの真価が問われるのは今シーズンだということになる。無論、天候に左右されるのだが、今シーズンは例年（昨年）と比べてかなり多くのナイトゲームが組まれている（特に金曜のナイトゲームが注目）。そのすべてが雨になることはないだろうから、ナイトゲームの集客力を測ることができるに違いない。　ここで仮に2005－2006シーズンをはるかに越える集客力が発揮されたとしても、筆者のナイトゲーム反対論は揺るがない。理由その二があるからだ。将来のファンを育てることを犠牲にして現在のファンを増やす方策には賛同できない。&#13;
　だがもし、現場の選手たちから「9月、10月のくそ暑い真っ昼間に、ラグビーなんかできるかい」と言われてしまったら、「そうですか」と言うしかない。いや、協会の皆様に日程の再考を願うしかない。</content>
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    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/16/141</id>
    <title>Vol.8「ワセダクラブとイラク復興支援」</title>
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      <name>WASEDA CLUB</name>
    </author>
    <updated>2006-10-13T17:57:00+09:00</updated>
    <published>2006-10-13T18:02:17+09:00</published>
    <summary>&#13;
　あえて思考を停止させていたように思う。イラク情勢についてである。&#13;
　積極的思考停止には自分なりのわけがあった。乏しい情報をもとにした判断は誤ったものになりがちだし、一度判断を下してしまうとその自分の判断に縛られ、新たな情報に接しても、先入観や自己に都合のいいフィルターを通してしか見ることができなくなると思っていたからである。　だが、昨今のイラク情勢とそれに関する人々の反応を見るにつけ、そしてワセダクラブから奥克彦さんについて考える機会をいただくにつれ、どうもいつまでも思考停止を続けているのは無責任なのではないかと思いを改めるに至った。奥氏の遺志を継ぎ、民間レベルでのイラク復興支援を模索しているワセダクラブで「楕円球コラム」というすばらしいメディアをお借りしている以上、私自身も“いま、何ができるか”について考えていかなければいけないのではないか。はたして明解な答えが出るかどうかはわからないが、とにかく思考停止をやめ、考え続けていくことにした。&#13;
　まずは基本スタンスから。正式には未発表ながら、すでに一部報道、あるいはこのサイトの「追悼　奥克彦大使を偲ぶ」にもあるように、「ワセダクラブは奥氏のスポーツへの情熱を引き継ぎ、自らの使命である“日本のスポーツ改革”をよりいっそう強く進めていくとともに、氏の推し進めてきたイラク復興、そして世界平和実現のためにできることを模索し、行動に移していきます」というワセダクラブ＝民間レベルによる平和活動、イラク復興支援に賛成である。　いろいろな方に奥氏のお話を伺う中で、氏もいまワセダクラブがやろうとしていることに賛成してくださるに違いなかろうと確信したからである。&#13;
　さて、私がイラク情勢について考えるようになった理由のひとつに、人質問題がある。特に、人質被害者や家族に対するいやがらせや誹謗中傷が酷かったこと（現在も続いているようだが）と、一連の日本政府の対応については、いろいろと考えさせられることが多かった。　まず、人質や家族に対するいやがらせ。これはあまりにも程度が低すぎてあきれかえると同時に、日本という国はここまでひどい国になったかと悲しい気持ちになった。それを肯定し、煽るかのような一部メディアや政府高官の発言にも驚いた。そして、さらに悲しい気持ちにさせられた。　税金の無駄遣いだからと言って、病院での検査費用や航空運賃を請求するという話を聞き「なんともセコイ政府だ」と思ったのは置いておくとしても、成田空港で“税金泥棒”と書いた紙を掲げている人を見たときのむなしい気持ちは全く表現のしようもない。本当に人命救助の費用を税金の無駄遣いだと思っているなら、ＢＳＥ対策費とやら（これ自体がえらい無駄遣いだと思うが）を騙し取った食肉業者（大手数社も）のことはどうお考えなのかとお尋ねしたくなる。&#13;
　ただ、被害者や家族がかわいそうといった感情論では意味がなかろう。なぜ私はここで悲しい気持ちになったのかと自問自答してみた。それは、いまワセダクラブがやろうとしていることまでも、何の考えもなく簡単に否定されたからだとわかった。その元凶がしきりに言われる「自己責任論」とやらだ。&#13;
　福田康夫官房長官は参院本会議での質疑において「多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、それを勧めたり称賛すべきだろうか」と述べ、５人の行動を支持する考え方にも疑問を呈したという。また時事通信によると、高遠菜穂子さんら３人が解放された際に小泉純一郎首相が「自覚を持ってもらいたい」と発言したことについて、「退避勧告が出ているイラクに渡航して拘束された結果、内外に多くの迷惑を掛けたことを個人として認識してほしいという趣旨だ」と説明したという。“人道主義”を単なる勝手な“自分の主義や信念”と言っているように聞こえる。そうだとすれば、これは民間によるイラク復興支援の完全なる否定であり、ワセダクラブの活動も同様に否定されることになるのではないか。あるいは「民間は“現地に行かない支援”だけしていろ」ということだろうか。現地にいる人に託すことなしに、ワセダクラブの支援が意味のあるものになるはずがないではないか（「自衛隊に託せ」とでもおっしゃるのだろうか）。あるいは、安全が保障されてからやれということだろうか。ならば、なぜ奥克彦さんの悲劇が起こる前にそれを高らかに叫ばなかったのか（氏は政府の人とはいえ、何の武装もしていなかった文官である。つまり、安全が保障される前に文民による復興支援活動を始めたのが当の日本政府である）。政府の人間はＯＫだが民間はダメということなら、これもやはり民間によるイラク復興支援の完全否定だろう。&#13;
　もし、人質の人たちが単なる物見遊山でイラクへ出掛けて行って捕まったというのなら、それは「自己責任」かもしれない（実際、物見遊山の人が増えているらしい）。しかし、捕まった人質はイラクのために活動し、またそれを報道（サラリーマンジャーナリストたちの多くがすでに退避していて、フリージャーナリストの存在はもはや欠かすことができないというではないか！）しようとしていた人たちだ。それを物見遊山といっしょに扱うことにはどうしても納得がいかない（結果論としてだが、危機管理の甘さについては非難される余地がないとは言えないが）。　川口順子外務大臣のコメントにもこうある。「あなた方が人質にしている３人は、純粋の民間人で、イラクの友人です。高遠菜穂子さんは、たびたびイラクを訪れ、子供たちの医療と教育に取り組んできた方です。今井紀明さんは、何年も前から、イラクの人々の戦争被害の問題に取り組んできました。郡山総一郎さんはイラクの人々の生活を日本に伝えてきたフリージャーナリストです。その３人を人質にしたことについて、日本の国民は驚きと怒りを感じています。」　このコメントにも無責任だという意見があるようだが、少なくとも人質３人が物見遊山で出掛けていったのではないということはよくわかる。実際、高遠さんはイラクのストリートチルドレンに就職を斡旋して、大いに感謝されていたと聞く。それを自分勝手なよくない行動だとはどうしたって思えない。&#13;
　人質や家族が誹謗される理由についても考えてみた。それは家族が政府に対して感情的に“自衛隊撤退”を要求したからだろう。「テロに屈しろ」と政府に要求したという見方もできる。この際、自衛隊派遣そのものの善し悪しは置いておくが、もし自分の家族が人質になったとして、自衛隊撤退によって命が助かるのであれば（そしてとりあえずそれが唯一の方法であるならば）、私も同様の行動を取った可能性があると思う。感情的に撤退を要求することもある程度は理解できる（テレビのワイドショーなどに出たりすることには多少の違和感を覚えないではないが）。　家族を誹謗される方には、自分が同じ立場ならどういう行動をするのかとお伺いしてみたい。「自己責任だから」と放っておかれるとはとても思えない。もしそうなら、別の意味で大いに問題であるような気がする。&#13;
　この事件で、自分の中でどうもはっきりせず、もやもやしていたことがある。それは前述の福田官房長官の発言にある、人質の人たちが「多くの人に迷惑をかけた」ということだ。はたしてそうなのか。迷惑をかけられたのは日本政府であり、小泉内閣だけなのではないか。「多くの人に」ではなく、「私たちに」ではないのか。少なくとも私たち国民は心配はしたが、迷惑をかけられてはいない（前述のとおり税金問題など言うに及ばず。他での無駄の方が圧倒的に多いのだから）。　もう少し突っ込んで考えた。人質のために政府が迷惑を被ったのか、政府のために人質が迷惑を被ったのか。これはどうも両方なのではないか。いや、むしろ後者なのではないか。人質犯人が要求したのは自衛隊の撤退で、その要求は日本政府に対してなされている。いわば人質は政府のために捕まったのではないのか。ところが日本政府は当事者意識が全くない。とんだとばっちりに巻き込まれたとでも言いたげだ。政府の側にいた奥克彦さんがこの事件の一部始終を見たらどう思うか。現地を知る奥氏が、高官らと同様の発言をする姿はどうしても思い浮かばなかった。&#13;
　政治的な主張をするつもりは毛頭ないし、そもそも確たる主張そのものが私にはない。さらにいまだによくわからない点も多い。だが、いろいろなことについてできるだけ客観的に思考し続けていこうとは思っている。そして、清宮克幸監督が“奥克彦さん追悼会”でおっしゃったように、「いま自分には何ができるか」をワセダクラブといっしょに考えていきたいと思っている。思考の拠り所は常にこの「いま自分には何ができるか」。まずは、ワセダクラブの活動にできる限り協力したいと思っている。このことを否定されるのであれば、黙っていてはいけないのではないかと思った次第である。</summary>
    <content type="text">&#13;
　あえて思考を停止させていたように思う。イラク情勢についてである。&#13;
　積極的思考停止には自分なりのわけがあった。乏しい情報をもとにした判断は誤ったものになりがちだし、一度判断を下してしまうとその自分の判断に縛られ、新たな情報に接しても、先入観や自己に都合のいいフィルターを通してしか見ることができなくなると思っていたからである。　だが、昨今のイラク情勢とそれに関する人々の反応を見るにつけ、そしてワセダクラブから奥克彦さんについて考える機会をいただくにつれ、どうもいつまでも思考停止を続けているのは無責任なのではないかと思いを改めるに至った。奥氏の遺志を継ぎ、民間レベルでのイラク復興支援を模索しているワセダクラブで「楕円球コラム」というすばらしいメディアをお借りしている以上、私自身も“いま、何ができるか”について考えていかなければいけないのではないか。はたして明解な答えが出るかどうかはわからないが、とにかく思考停止をやめ、考え続けていくことにした。&#13;
　まずは基本スタンスから。正式には未発表ながら、すでに一部報道、あるいはこのサイトの「追悼　奥克彦大使を偲ぶ」にもあるように、「ワセダクラブは奥氏のスポーツへの情熱を引き継ぎ、自らの使命である“日本のスポーツ改革”をよりいっそう強く進めていくとともに、氏の推し進めてきたイラク復興、そして世界平和実現のためにできることを模索し、行動に移していきます」というワセダクラブ＝民間レベルによる平和活動、イラク復興支援に賛成である。　いろいろな方に奥氏のお話を伺う中で、氏もいまワセダクラブがやろうとしていることに賛成してくださるに違いなかろうと確信したからである。&#13;
　さて、私がイラク情勢について考えるようになった理由のひとつに、人質問題がある。特に、人質被害者や家族に対するいやがらせや誹謗中傷が酷かったこと（現在も続いているようだが）と、一連の日本政府の対応については、いろいろと考えさせられることが多かった。　まず、人質や家族に対するいやがらせ。これはあまりにも程度が低すぎてあきれかえると同時に、日本という国はここまでひどい国になったかと悲しい気持ちになった。それを肯定し、煽るかのような一部メディアや政府高官の発言にも驚いた。そして、さらに悲しい気持ちにさせられた。　税金の無駄遣いだからと言って、病院での検査費用や航空運賃を請求するという話を聞き「なんともセコイ政府だ」と思ったのは置いておくとしても、成田空港で“税金泥棒”と書いた紙を掲げている人を見たときのむなしい気持ちは全く表現のしようもない。本当に人命救助の費用を税金の無駄遣いだと思っているなら、ＢＳＥ対策費とやら（これ自体がえらい無駄遣いだと思うが）を騙し取った食肉業者（大手数社も）のことはどうお考えなのかとお尋ねしたくなる。&#13;
　ただ、被害者や家族がかわいそうといった感情論では意味がなかろう。なぜ私はここで悲しい気持ちになったのかと自問自答してみた。それは、いまワセダクラブがやろうとしていることまでも、何の考えもなく簡単に否定されたからだとわかった。その元凶がしきりに言われる「自己責任論」とやらだ。&#13;
　福田康夫官房長官は参院本会議での質疑において「多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、それを勧めたり称賛すべきだろうか」と述べ、５人の行動を支持する考え方にも疑問を呈したという。また時事通信によると、高遠菜穂子さんら３人が解放された際に小泉純一郎首相が「自覚を持ってもらいたい」と発言したことについて、「退避勧告が出ているイラクに渡航して拘束された結果、内外に多くの迷惑を掛けたことを個人として認識してほしいという趣旨だ」と説明したという。“人道主義”を単なる勝手な“自分の主義や信念”と言っているように聞こえる。そうだとすれば、これは民間によるイラク復興支援の完全なる否定であり、ワセダクラブの活動も同様に否定されることになるのではないか。あるいは「民間は“現地に行かない支援”だけしていろ」ということだろうか。現地にいる人に託すことなしに、ワセダクラブの支援が意味のあるものになるはずがないではないか（「自衛隊に託せ」とでもおっしゃるのだろうか）。あるいは、安全が保障されてからやれということだろうか。ならば、なぜ奥克彦さんの悲劇が起こる前にそれを高らかに叫ばなかったのか（氏は政府の人とはいえ、何の武装もしていなかった文官である。つまり、安全が保障される前に文民による復興支援活動を始めたのが当の日本政府である）。政府の人間はＯＫだが民間はダメということなら、これもやはり民間によるイラク復興支援の完全否定だろう。&#13;
　もし、人質の人たちが単なる物見遊山でイラクへ出掛けて行って捕まったというのなら、それは「自己責任」かもしれない（実際、物見遊山の人が増えているらしい）。しかし、捕まった人質はイラクのために活動し、またそれを報道（サラリーマンジャーナリストたちの多くがすでに退避していて、フリージャーナリストの存在はもはや欠かすことができないというではないか！）しようとしていた人たちだ。それを物見遊山といっしょに扱うことにはどうしても納得がいかない（結果論としてだが、危機管理の甘さについては非難される余地がないとは言えないが）。　川口順子外務大臣のコメントにもこうある。「あなた方が人質にしている３人は、純粋の民間人で、イラクの友人です。高遠菜穂子さんは、たびたびイラクを訪れ、子供たちの医療と教育に取り組んできた方です。今井紀明さんは、何年も前から、イラクの人々の戦争被害の問題に取り組んできました。郡山総一郎さんはイラクの人々の生活を日本に伝えてきたフリージャーナリストです。その３人を人質にしたことについて、日本の国民は驚きと怒りを感じています。」　このコメントにも無責任だという意見があるようだが、少なくとも人質３人が物見遊山で出掛けていったのではないということはよくわかる。実際、高遠さんはイラクのストリートチルドレンに就職を斡旋して、大いに感謝されていたと聞く。それを自分勝手なよくない行動だとはどうしたって思えない。&#13;
　人質や家族が誹謗される理由についても考えてみた。それは家族が政府に対して感情的に“自衛隊撤退”を要求したからだろう。「テロに屈しろ」と政府に要求したという見方もできる。この際、自衛隊派遣そのものの善し悪しは置いておくが、もし自分の家族が人質になったとして、自衛隊撤退によって命が助かるのであれば（そしてとりあえずそれが唯一の方法であるならば）、私も同様の行動を取った可能性があると思う。感情的に撤退を要求することもある程度は理解できる（テレビのワイドショーなどに出たりすることには多少の違和感を覚えないではないが）。　家族を誹謗される方には、自分が同じ立場ならどういう行動をするのかとお伺いしてみたい。「自己責任だから」と放っておかれるとはとても思えない。もしそうなら、別の意味で大いに問題であるような気がする。&#13;
　この事件で、自分の中でどうもはっきりせず、もやもやしていたことがある。それは前述の福田官房長官の発言にある、人質の人たちが「多くの人に迷惑をかけた」ということだ。はたしてそうなのか。迷惑をかけられたのは日本政府であり、小泉内閣だけなのではないか。「多くの人に」ではなく、「私たちに」ではないのか。少なくとも私たち国民は心配はしたが、迷惑をかけられてはいない（前述のとおり税金問題など言うに及ばず。他での無駄の方が圧倒的に多いのだから）。　もう少し突っ込んで考えた。人質のために政府が迷惑を被ったのか、政府のために人質が迷惑を被ったのか。これはどうも両方なのではないか。いや、むしろ後者なのではないか。人質犯人が要求したのは自衛隊の撤退で、その要求は日本政府に対してなされている。いわば人質は政府のために捕まったのではないのか。ところが日本政府は当事者意識が全くない。とんだとばっちりに巻き込まれたとでも言いたげだ。政府の側にいた奥克彦さんがこの事件の一部始終を見たらどう思うか。現地を知る奥氏が、高官らと同様の発言をする姿はどうしても思い浮かばなかった。&#13;
　政治的な主張をするつもりは毛頭ないし、そもそも確たる主張そのものが私にはない。さらにいまだによくわからない点も多い。だが、いろいろなことについてできるだけ客観的に思考し続けていこうとは思っている。そして、清宮克幸監督が“奥克彦さん追悼会”でおっしゃったように、「いま自分には何ができるか」をワセダクラブといっしょに考えていきたいと思っている。思考の拠り所は常にこの「いま自分には何ができるか」。まずは、ワセダクラブの活動にできる限り協力したいと思っている。このことを否定されるのであれば、黙っていてはいけないのではないかと思った次第である。</content>
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    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/16/139</id>
    <title>Vol.6「仕掛けと仕留めの連続性について」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=139"/>
    <author>
      <name>WASEDA CLUB</name>
    </author>
    <updated>2006-10-13T17:55:00+09:00</updated>
    <published>2006-10-13T18:01:00+09:00</published>
    <summary>　2月10日に行われたワセダクラブのシンポジウムは、素人の筆者にもたいへん楽しめるものだったし、なによりとても勉強になる内容だった。　当日は平日の夕方、しかも休みの前日にもかかわらず、大勢の方々が詰め掛け、大盛況だった。都合で参加できなかった方も多かったと思うので（松瀬学さんもそのお一人。でも当日は松瀬さんの話題も出て盛り上がりました）、今後もぜひ同様のイベントを定期的に企画していただきたいと思う。&#13;
　この日、最も印象に残ったのは藤島大さんも書かれておられる「仕掛け」と「仕留め」。「仕掛け」とは相手を崩して優位な局面を作ること。チャンスメイクすること。サッカーで例えると、相手のディフェンスを崩していいラストパスを出せる場面を作ること。「仕留め」とは仕掛けによって作った優位な局面を確実にものにして、きっちりと得点に結び付けること。サッカーでいえば、ラストパスをもらったストライカーが確実にシュートを決めることと筆者は解釈した。&#13;
　早稲田が関東学院に勝てなかった大きな理由のひとつが、「仕掛け」は何度も成功しているにもかかわらず、「仕留め」がうまくできなかったということだった。しかも、関東学院の「仕掛け」を早稲田はしっかりと止めていた。ただ、数多く成功した「仕掛け」にもかかわらず「仕留め」に至らなかった早稲田に対して、関東学院は少ない「仕掛け」の成功を確実に「仕留め」に導いた。　たびたびサッカーの例えで恐縮だが、早稲田はサッカー日本代表がよく言われているのと同様に「決定力不足」だったということのようだ。　なるほど、そういう見方があるのか、というおみやげをいただき、その目を持って今度は21日の日本選手権を観戦した。&#13;
　早稲田はコカコーラ・ウエスト・ジャパンを相手に、一時19点差をつけられたものの連続トライなどで逆転し、32－29でみごとに勝利した。釜石シーウエイブスにロスタイムで逆転した関東学院とともに、日本選手権では16年ぶりに学生が社会人に勝利したのだった。　16年前とは、早稲田が東芝府中に勝って日本一になったときだから、清宮監督のコメントにもあるように今回の勝利と比べることは意味がないのだが、少なくとも昨今言われるように「社会人と学生との実力差が開いた」のではなく、「社会人のトップレベルと学生との実力差が開いた」だけなのだということを証明してくれた。&#13;
　想像するに、大学選手権決勝から約１ヵ月と試合間隔が開くなかで、敗戦からもう一度モチベーションを上げ直し、きっちりとチームを作ることは、かなりたいへんなことだったのではないか。相手がトップリーグの下のリーグ、トップキュウシュウ所属とはいえ、そこで全勝優勝し、トップリーグ入り目前まで迫ったコカコーラ・ウエスト・ジャパンに勝った意味はけっして小さくないはずだ。&#13;
　さて、「仕掛け」と「仕留め」である。32点も取ったのだから「仕留め」はかなりうまくいったのではないかと思う。もちろん「仕掛け」もかなりうまくいっていたように見えた。　だが、よく見てみると、「仕留め」たのは前半ではゴール前のセットプレーから、後半は自陣ゴール前からの切り返しと今村雄太選手のすばらしい走り、吉永将宏選手のキックなどから生まれている。どうも、「仕掛け」の成功から「仕留め」を導いたという感じがしないのだ。「仕掛け」も何度も成功している。「仕留め」も32点を取っている。いったい何が不満なのだと言われるかもしれない。だが、「仕掛け」と「仕留め」は別々のものではなく、ひとつの流れなのではないかと思うのだ。つまり、「仕掛け」と「仕留め」をうまく結んで流れを作るための「つなぎ」が重要なのではないかと思えてならないのだ。&#13;
　ただ、今村選手の最後のトライは、いい流れで取ったように思えた。個人技もあろうが、しっかりと仕掛けから仕留めた印象が残った。&#13;
　次は早稲田の真価が問われる、トップリーグ5位のワールド戦。今度は「つなぎ」に注目しながら観戦しようと思っている。そして、「社会人と学生との実力差が開いた」のでも「社会人のトップレベルと学生との実力差が開いた」のでもないことを証明してくれることを期待している。</summary>
    <content type="text">　2月10日に行われたワセダクラブのシンポジウムは、素人の筆者にもたいへん楽しめるものだったし、なによりとても勉強になる内容だった。　当日は平日の夕方、しかも休みの前日にもかかわらず、大勢の方々が詰め掛け、大盛況だった。都合で参加できなかった方も多かったと思うので（松瀬学さんもそのお一人。でも当日は松瀬さんの話題も出て盛り上がりました）、今後もぜひ同様のイベントを定期的に企画していただきたいと思う。&#13;
　この日、最も印象に残ったのは藤島大さんも書かれておられる「仕掛け」と「仕留め」。「仕掛け」とは相手を崩して優位な局面を作ること。チャンスメイクすること。サッカーで例えると、相手のディフェンスを崩していいラストパスを出せる場面を作ること。「仕留め」とは仕掛けによって作った優位な局面を確実にものにして、きっちりと得点に結び付けること。サッカーでいえば、ラストパスをもらったストライカーが確実にシュートを決めることと筆者は解釈した。&#13;
　早稲田が関東学院に勝てなかった大きな理由のひとつが、「仕掛け」は何度も成功しているにもかかわらず、「仕留め」がうまくできなかったということだった。しかも、関東学院の「仕掛け」を早稲田はしっかりと止めていた。ただ、数多く成功した「仕掛け」にもかかわらず「仕留め」に至らなかった早稲田に対して、関東学院は少ない「仕掛け」の成功を確実に「仕留め」に導いた。　たびたびサッカーの例えで恐縮だが、早稲田はサッカー日本代表がよく言われているのと同様に「決定力不足」だったということのようだ。　なるほど、そういう見方があるのか、というおみやげをいただき、その目を持って今度は21日の日本選手権を観戦した。&#13;
　早稲田はコカコーラ・ウエスト・ジャパンを相手に、一時19点差をつけられたものの連続トライなどで逆転し、32－29でみごとに勝利した。釜石シーウエイブスにロスタイムで逆転した関東学院とともに、日本選手権では16年ぶりに学生が社会人に勝利したのだった。　16年前とは、早稲田が東芝府中に勝って日本一になったときだから、清宮監督のコメントにもあるように今回の勝利と比べることは意味がないのだが、少なくとも昨今言われるように「社会人と学生との実力差が開いた」のではなく、「社会人のトップレベルと学生との実力差が開いた」だけなのだということを証明してくれた。&#13;
　想像するに、大学選手権決勝から約１ヵ月と試合間隔が開くなかで、敗戦からもう一度モチベーションを上げ直し、きっちりとチームを作ることは、かなりたいへんなことだったのではないか。相手がトップリーグの下のリーグ、トップキュウシュウ所属とはいえ、そこで全勝優勝し、トップリーグ入り目前まで迫ったコカコーラ・ウエスト・ジャパンに勝った意味はけっして小さくないはずだ。&#13;
　さて、「仕掛け」と「仕留め」である。32点も取ったのだから「仕留め」はかなりうまくいったのではないかと思う。もちろん「仕掛け」もかなりうまくいっていたように見えた。　だが、よく見てみると、「仕留め」たのは前半ではゴール前のセットプレーから、後半は自陣ゴール前からの切り返しと今村雄太選手のすばらしい走り、吉永将宏選手のキックなどから生まれている。どうも、「仕掛け」の成功から「仕留め」を導いたという感じがしないのだ。「仕掛け」も何度も成功している。「仕留め」も32点を取っている。いったい何が不満なのだと言われるかもしれない。だが、「仕掛け」と「仕留め」は別々のものではなく、ひとつの流れなのではないかと思うのだ。つまり、「仕掛け」と「仕留め」をうまく結んで流れを作るための「つなぎ」が重要なのではないかと思えてならないのだ。&#13;
　ただ、今村選手の最後のトライは、いい流れで取ったように思えた。個人技もあろうが、しっかりと仕掛けから仕留めた印象が残った。&#13;
　次は早稲田の真価が問われる、トップリーグ5位のワールド戦。今度は「つなぎ」に注目しながら観戦しようと思っている。そして、「社会人と学生との実力差が開いた」のでも「社会人のトップレベルと学生との実力差が開いた」のでもないことを証明してくれることを期待している。</content>
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