<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
  <id>http://www.wasedaclub.com,blog/9</id>
  <title>楕円球コラム　「楕円球は呼ぶ」</title>
  <subtitle>スポーツジャーナリスト藤島大氏が、いまのラグビー事象について、逸話や歴史観などを踏まえながら描きます。</subtitle>
  <updated>2006-11-01T12:40:22+09:00</updated>
  <link rel="self" href="http://www.wasedaclub.com/files/blog/rss/RSS_BLOG_9.rdf"/>
  <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_my_top/blog_id=9"/>
  <author>
    <name>WASEDA CLUB</name>
  </author>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/9/485</id>
    <title>Vol.60 「無能ではなし、なお退く」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=485"/>
    <author>
      <name>WASEDA CLUB</name>
    </author>
    <updated>2008-06-17T21:28:00+09:00</updated>
    <published>2008-06-17T21:29:36+09:00</published>
    <summary>スポーツ団体において、役員の「定年延長」がコソコソと唱えられ始めたら、まして自分自身が該当するのに本人が言い出したりしていたら、おおむね、その組織は衰退局面に差し掛かっている。滅びの道だ。さて日本ラグビー協会は大丈夫かしら。&#13;
人間の価値は、しばしば引き際に表れる。退（しりぞ）き方だ。ニュージーランドのラグビーがそれで失敗している。&#13;
昨年のワールドカップ、準々決勝でフランスに敗退。やれレフェリーが前へのパスを見逃したとか、シンビンは不適当だったとか、言い訳は盛んだったが、誇り高く、また目利きでもあるニュージーランドのファン、つまりパブリックは、グラハム・ヘンリー監督とコーチ陣による、コンディショニングや選手選考の失敗を見抜いていた。&#13;
そんなパブリックの不満を見抜けなかったのが、ニュージーランド協会の偉い人たちで、ヘンリー留任（２年契約）を決めると、国内の反感は消えず、このほどの新しいテストマッチのシーズンを迎えても、英国メディアの表現を借りれば「ニュージーランド国民のオールブラックスへの支持はスプリット（分裂）している」。&#13;
実際、協会のボス（ＣＥＯ）、スティーブ・チューも、「反ヘンリー感情を過小評価していた」と素直に認めた（同国ヘラルド紙）。&#13;
敗戦から何ヶ月も過ぎてから協会が提出した「何が間違っていたのか」という弁護士ら第三者によるレビューの内容も散々で、正論と皮肉のインクにペンを浸したコラムニストたちの格好の餌食とされた。すなわち「そこに書かれているのは、負けた日の夜に、みんながパブで話していたこと」。&#13;
ヘンリー留任で、国内最高の実績を残す、クルセイダースのロビー・ディーンズ監督は、よりによって隣国オーストラリアのワラビーズを率いる決断をした。せっかくの名指導者をライバル国にさらわれてしまったのである。&#13;
グラハム・ヘンリーの指導力そのものの評価は、もちろん「最低」ではありえない。たとえば10年前、湿地帯をさまようウェールズを立て直した当初の手腕は鮮やかだった。オールブラックス監督としても、再就任の時点で、42勝６敗という好成績を残している。&#13;
しかし、すでに62歳。あれほどのラグビー王国にあって、どう弁解しても、ワールドカップ史上最悪の準々決勝敗退を招き、なおスパッと解任させられぬあたりに、ニュージーランドのラグビー界の自信喪失を見る気はする。「ヘンリーさん、ご苦労様でした。でもクビです」と言い渡すだけの自信が、５大会連続でワールドカップをしくじるうち、協会になくなってしまった。またヘンリー自身にも「責任を取ります。きっぱりと」という、自尊心あればこその潔さは失われている。&#13;
なかなか協会の期待するようには時が忘却をうながしてもくれず、善良なる国民に「割り切れなさ」と「ディーンズを持っていかれた後悔」の念はくすぶっている。&#13;
負けるたびにクビをすげかえたのでは強化の継続性はなくなる。そうかもしれない。イングランドも、99年大会に負けたクライブ・ウッドワード監督を辛抱したら、４年後には優勝できた。いつか無能とささやかれた人物に、いまでは「サー」の称号がついている。&#13;
しかし、たとえば戦力に恵まれぬ大学ラグビー部の監督なら、「負けても内容は悪くなし」の評価はあてはまるが、そこは、イングランドでもワラビーズでもなくオールブラックスなのだもの「負ければサヨナラ」で正しい。その潔癖なまでの厳格が栄光の歴史を刻むのである。&#13;
「我々は、グラハム・ヘンリーを再任命する際、人々の反応を考慮に入れませんでした」（同前）。&#13;
ヘンリー留任で難しいのは、「明らかなる無能」とは違うため、完全な反発ではなく、「なんとなく納得できない」という感情が地中に埋蔵されてしまうところだ。どこかモヤモヤを残したまま、でも、もともとの指導力は悪くなく、選手の資質にも優れているから、滑らかに前へ進む。これからも総じて好成績を続けるだろう。&#13;
しかし、ここというところ、サントリーの清宮克幸監督の言を用いると「ファイナル・ラグビー」になったら、ヘンリー解任、あるいはヘンリー辞任に踏み切れなかった弱さが、負の面に表現される気がしてならない。&#13;
最後に、ニュージーランドのファンの「無邪気に乗り切れない」感情は、しかし、オールブラックスへの無関心とは違っている。あるメディア調査機関の報告では、６月７日のアイルランドとのテストマッチ（21－11）をスカイのライブ放送で観戦した５歳以上の国民の数は「500,200」におよぶ。加えて他局のディレイ放送の視聴者も「186,900」ほどカウントされている（同ヘラルド紙）。人口が420万強であると考えれば、やはり国民の関心は高い。うらやましくもあるけれど、これだけのラグビー国力があるのだから、なおさらヘンリーさんも辞めたほうがよかった。&#13;
 </summary>
    <content type="text">スポーツ団体において、役員の「定年延長」がコソコソと唱えられ始めたら、まして自分自身が該当するのに本人が言い出したりしていたら、おおむね、その組織は衰退局面に差し掛かっている。滅びの道だ。さて日本ラグビー協会は大丈夫かしら。&#13;
人間の価値は、しばしば引き際に表れる。退（しりぞ）き方だ。ニュージーランドのラグビーがそれで失敗している。&#13;
昨年のワールドカップ、準々決勝でフランスに敗退。やれレフェリーが前へのパスを見逃したとか、シンビンは不適当だったとか、言い訳は盛んだったが、誇り高く、また目利きでもあるニュージーランドのファン、つまりパブリックは、グラハム・ヘンリー監督とコーチ陣による、コンディショニングや選手選考の失敗を見抜いていた。&#13;
そんなパブリックの不満を見抜けなかったのが、ニュージーランド協会の偉い人たちで、ヘンリー留任（２年契約）を決めると、国内の反感は消えず、このほどの新しいテストマッチのシーズンを迎えても、英国メディアの表現を借りれば「ニュージーランド国民のオールブラックスへの支持はスプリット（分裂）している」。&#13;
実際、協会のボス（ＣＥＯ）、スティーブ・チューも、「反ヘンリー感情を過小評価していた」と素直に認めた（同国ヘラルド紙）。&#13;
敗戦から何ヶ月も過ぎてから協会が提出した「何が間違っていたのか」という弁護士ら第三者によるレビューの内容も散々で、正論と皮肉のインクにペンを浸したコラムニストたちの格好の餌食とされた。すなわち「そこに書かれているのは、負けた日の夜に、みんながパブで話していたこと」。&#13;
ヘンリー留任で、国内最高の実績を残す、クルセイダースのロビー・ディーンズ監督は、よりによって隣国オーストラリアのワラビーズを率いる決断をした。せっかくの名指導者をライバル国にさらわれてしまったのである。&#13;
グラハム・ヘンリーの指導力そのものの評価は、もちろん「最低」ではありえない。たとえば10年前、湿地帯をさまようウェールズを立て直した当初の手腕は鮮やかだった。オールブラックス監督としても、再就任の時点で、42勝６敗という好成績を残している。&#13;
しかし、すでに62歳。あれほどのラグビー王国にあって、どう弁解しても、ワールドカップ史上最悪の準々決勝敗退を招き、なおスパッと解任させられぬあたりに、ニュージーランドのラグビー界の自信喪失を見る気はする。「ヘンリーさん、ご苦労様でした。でもクビです」と言い渡すだけの自信が、５大会連続でワールドカップをしくじるうち、協会になくなってしまった。またヘンリー自身にも「責任を取ります。きっぱりと」という、自尊心あればこその潔さは失われている。&#13;
なかなか協会の期待するようには時が忘却をうながしてもくれず、善良なる国民に「割り切れなさ」と「ディーンズを持っていかれた後悔」の念はくすぶっている。&#13;
負けるたびにクビをすげかえたのでは強化の継続性はなくなる。そうかもしれない。イングランドも、99年大会に負けたクライブ・ウッドワード監督を辛抱したら、４年後には優勝できた。いつか無能とささやかれた人物に、いまでは「サー」の称号がついている。&#13;
しかし、たとえば戦力に恵まれぬ大学ラグビー部の監督なら、「負けても内容は悪くなし」の評価はあてはまるが、そこは、イングランドでもワラビーズでもなくオールブラックスなのだもの「負ければサヨナラ」で正しい。その潔癖なまでの厳格が栄光の歴史を刻むのである。&#13;
「我々は、グラハム・ヘンリーを再任命する際、人々の反応を考慮に入れませんでした」（同前）。&#13;
ヘンリー留任で難しいのは、「明らかなる無能」とは違うため、完全な反発ではなく、「なんとなく納得できない」という感情が地中に埋蔵されてしまうところだ。どこかモヤモヤを残したまま、でも、もともとの指導力は悪くなく、選手の資質にも優れているから、滑らかに前へ進む。これからも総じて好成績を続けるだろう。&#13;
しかし、ここというところ、サントリーの清宮克幸監督の言を用いると「ファイナル・ラグビー」になったら、ヘンリー解任、あるいはヘンリー辞任に踏み切れなかった弱さが、負の面に表現される気がしてならない。&#13;
最後に、ニュージーランドのファンの「無邪気に乗り切れない」感情は、しかし、オールブラックスへの無関心とは違っている。あるメディア調査機関の報告では、６月７日のアイルランドとのテストマッチ（21－11）をスカイのライブ放送で観戦した５歳以上の国民の数は「500,200」におよぶ。加えて他局のディレイ放送の視聴者も「186,900」ほどカウントされている（同ヘラルド紙）。人口が420万強であると考えれば、やはり国民の関心は高い。うらやましくもあるけれど、これだけのラグビー国力があるのだから、なおさらヘンリーさんも辞めたほうがよかった。&#13;
 </content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/9/382</id>
    <title>Vol.50 「残り4000円の勇者」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=382"/>
    <author>
      <name>WASEDA CLUB</name>
    </author>
    <updated>2007-09-03T12:42:00+09:00</updated>
    <published>2007-09-03T12:48:41+09:00</published>
    <summary>先日、原進さんに会えた。かつてジャパンのプロップとして活躍、あのイングランドとの３―６の歴史的一戦の当事者である。「阿修羅」のリング名で知られるプロレスラーでもあった。&#13;
原さんのプロレス時代のアメリカ武者修行の逸話がおもしろかった。スポーツ誌のための取材だったが、スペースの関係で紹介できなかったので、ここに記したい。&#13;
阿修羅・原は、ラグビーの名選手という経歴を買われ、デビュー直後から厚遇された。しかし、本人はリングでの動きに納得できない。ある日、自分のファイトぶりをビデオ映像で見返したら「愕然とした」。これではプロフェッショナルとはいえない。よし、アメリカで修行だ。思い立ったら、すぐに実行。３万円だけを握り締めて出発した。&#13;
「そしたら成田までタクシー代が２万円。しかも空港に着いたら腕時計を忘れてるわけよ。忘れたら困ると思って、おもちゃみたいなスヌーピーの柄のついた安いやつ買って、これが6000円。飛行機乗った時、4000円だけだよ」&#13;
ＬＡからニューオリンズ、さらにバトンルージュへ。&#13;
「そこまで飲まず食わずだよ。4000円しかないから」&#13;
ニューオリンズにレスラー仲間のファンの女の子ふたりがクルマで迎えにきてくれた。&#13;
「すごい腹減ってるんだけど、ひとりで食べるわけにもいかないから我慢して５時間のドライブ」&#13;
なぜ、貧乏修行を決意した人間が成田空港までタクシーを使うのか？　という根源的疑問をよそに、ラグビーの現役時代には100ｍを11・７秒で走った元タフガイは、淡々とストーリーを続けるのだった。&#13;
おかしい。普通ではない。簡単にとらえると「金銭感覚の欠如」ということになるのだろうけれど、それは現象に過ぎず、つまり、生きる次元が違う。&#13;
そうだ。だから大西ジャパンは強かったのだ。そう思った。異次元に生き、凡人とは別の時間と空間に呼吸して、なお鋼鉄のごとき肉体を持ち、さらには俊足でもあった偉丈夫がスクラム最前線に体を張っている。これは強い。&#13;
いよいよワールドカップが始まる。&#13;
出でよ、エキセントリックな超人！　素敵な変わり者！　そういう人間がジャパンにいて、初めてワラビーズを困惑させられる。赤いウェールズを恥辱と興奮で赤くさせられる。そんな気がしてならない。異次元の感覚に身を焦がし、奮い立つ桜のジャージィであるなら世界にインパクトを与えられる。&#13;
原さんは、あの36年前のイングランド戦の２ヵ月前にナンバーエイトからプロップへ転向した。当時の記録をひもとくと、９月28日が６―３の試合、原進が生まれて初めてスクラムを組んだ菅平の夏合宿は７月21日から25日、天理での直前合宿が９月12日から15日、ジャパンとしての本格的な練習はそれがすべてである。たったそれだけで、現在に至るまで史上最高のプロップのひとりと評価されるフラン・コットンらに組み負けなかった。壮絶なスクラム練習に首の皮が剥け、そこにハエがたかり、そのハエを払う力もなく、宿舎では立つこともできず「ハイハイで移動した」という逸話は語り継がれている。&#13;
「俺が考えていたのは、身につけた体力や技術を100％出し切ることだけ。身につけたものを出し切らせるのが監督の仕事。俺は、ただ大西（鐵之祐）先生の言ったとおりにすればよい。この人についていけば間違いない。自分はとにかく強く、速くなろう。それだけだったから。試合前のロッカーでは、みんな涙ボロボロ、そういう気持ちになってたんだ」&#13;
普通でない個性の選手が、普通でない個性の指導者と「信」を交わす。ここにジャパンの勝機はある。&#13;
ジョン・カーワン、吠えろ。ジャパンの勇士、そのなかの誰かひとりくらいは「ワラビーズって、どこの国？」とヘラヘラ笑って、そしてキックオフ直前、みんなでウォーンと泣け。泣いて、泣いて、小型カンガルーに噛みつくのだ。</summary>
    <content type="text">先日、原進さんに会えた。かつてジャパンのプロップとして活躍、あのイングランドとの３―６の歴史的一戦の当事者である。「阿修羅」のリング名で知られるプロレスラーでもあった。&#13;
原さんのプロレス時代のアメリカ武者修行の逸話がおもしろかった。スポーツ誌のための取材だったが、スペースの関係で紹介できなかったので、ここに記したい。&#13;
阿修羅・原は、ラグビーの名選手という経歴を買われ、デビュー直後から厚遇された。しかし、本人はリングでの動きに納得できない。ある日、自分のファイトぶりをビデオ映像で見返したら「愕然とした」。これではプロフェッショナルとはいえない。よし、アメリカで修行だ。思い立ったら、すぐに実行。３万円だけを握り締めて出発した。&#13;
「そしたら成田までタクシー代が２万円。しかも空港に着いたら腕時計を忘れてるわけよ。忘れたら困ると思って、おもちゃみたいなスヌーピーの柄のついた安いやつ買って、これが6000円。飛行機乗った時、4000円だけだよ」&#13;
ＬＡからニューオリンズ、さらにバトンルージュへ。&#13;
「そこまで飲まず食わずだよ。4000円しかないから」&#13;
ニューオリンズにレスラー仲間のファンの女の子ふたりがクルマで迎えにきてくれた。&#13;
「すごい腹減ってるんだけど、ひとりで食べるわけにもいかないから我慢して５時間のドライブ」&#13;
なぜ、貧乏修行を決意した人間が成田空港までタクシーを使うのか？　という根源的疑問をよそに、ラグビーの現役時代には100ｍを11・７秒で走った元タフガイは、淡々とストーリーを続けるのだった。&#13;
おかしい。普通ではない。簡単にとらえると「金銭感覚の欠如」ということになるのだろうけれど、それは現象に過ぎず、つまり、生きる次元が違う。&#13;
そうだ。だから大西ジャパンは強かったのだ。そう思った。異次元に生き、凡人とは別の時間と空間に呼吸して、なお鋼鉄のごとき肉体を持ち、さらには俊足でもあった偉丈夫がスクラム最前線に体を張っている。これは強い。&#13;
いよいよワールドカップが始まる。&#13;
出でよ、エキセントリックな超人！　素敵な変わり者！　そういう人間がジャパンにいて、初めてワラビーズを困惑させられる。赤いウェールズを恥辱と興奮で赤くさせられる。そんな気がしてならない。異次元の感覚に身を焦がし、奮い立つ桜のジャージィであるなら世界にインパクトを与えられる。&#13;
原さんは、あの36年前のイングランド戦の２ヵ月前にナンバーエイトからプロップへ転向した。当時の記録をひもとくと、９月28日が６―３の試合、原進が生まれて初めてスクラムを組んだ菅平の夏合宿は７月21日から25日、天理での直前合宿が９月12日から15日、ジャパンとしての本格的な練習はそれがすべてである。たったそれだけで、現在に至るまで史上最高のプロップのひとりと評価されるフラン・コットンらに組み負けなかった。壮絶なスクラム練習に首の皮が剥け、そこにハエがたかり、そのハエを払う力もなく、宿舎では立つこともできず「ハイハイで移動した」という逸話は語り継がれている。&#13;
「俺が考えていたのは、身につけた体力や技術を100％出し切ることだけ。身につけたものを出し切らせるのが監督の仕事。俺は、ただ大西（鐵之祐）先生の言ったとおりにすればよい。この人についていけば間違いない。自分はとにかく強く、速くなろう。それだけだったから。試合前のロッカーでは、みんな涙ボロボロ、そういう気持ちになってたんだ」&#13;
普通でない個性の選手が、普通でない個性の指導者と「信」を交わす。ここにジャパンの勝機はある。&#13;
ジョン・カーワン、吠えろ。ジャパンの勇士、そのなかの誰かひとりくらいは「ワラビーズって、どこの国？」とヘラヘラ笑って、そしてキックオフ直前、みんなでウォーンと泣け。泣いて、泣いて、小型カンガルーに噛みつくのだ。</content>
  </entry>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com,blog/9/318</id>
    <title>Vol.43「難問を解く」</title>
    <link href="http://www.wasedaclub.com/blog_detail/id=318"/>
    <author>
      <name>WASEDA CLUB</name>
    </author>
    <updated>2007-02-14T21:57:00+09:00</updated>
    <published>2007-02-14T21:59:57+09:00</published>
    <summary>ざっと10年ほど前、早稲田大学の先生と「入学試験のあり方」について語り合った。そもそも受験事情にうとく、現在がどうかは知らないが、先生によれば、当時は「ワセダの入試問題は塾に通えば通うだけ解ける問題。必然的に浪人生有利で現役は不利」らしかった。&#13;
ところが、何かと批判される東京大学の一部の入試問題は「簡単な暗記が通用せず教養と論理構成力が試される」。若干、記憶があいまいだが、たとえば、まずファシズムに関する英文を読む。その後、日本語で、あえて「ファシズム擁護」の小論文を書かせる…というような。先生によれば「東大は常に批評されるから自己改革力は高い」そうだ。&#13;
その先生は、会議で「入試改革」を唱えた。もっと暗記の通用せぬ出題を。すると「おっしゃることはもっともだが、なにしろ早稲田は受験生の数が膨大なので採点が難しい」と退けられた。&#13;
純粋な先生は言った。&#13;
「受験生の数が多いから無理だ…。それでは普通の会社の会議と同じではないか。大学の教授というのは未知の問題を解決するために存在するはずなのに」&#13;
そこのくだりにジーンと感動した。&#13;
未知の領域に挑む、あるいは物理的に困難な問題を解決するのが本物の知性である。おそるべき数の「私はこう考える」という答案を、コンピュータ処理のみに頼らず迅速に採点するにはどうすればよいのか。そのことを考え抜くのが知性である。つくづく、そうなのだと思う。ラグビーもまた。&#13;
早稲田大学ラグビー部も「未知の領域」に挑むべきだ。かつての１面だけの土のグラウンドを練習場として、ほとんどがラグビー無名校出身者によって行われていた時代は終わり、見事な環境が整い、スポンサーも得られ、入試制度の改革で高校代表クラスの選手の比率も増した。たった11年前、筆者が早稲田のコーチを始めたシーズンの推薦入学者は計３人、高校代表はひとりのみだった。&#13;
少しも悪いことではない。ただし環境が変われば「未知の領域」は出現する。一例が伝統の「来る者は拒まず」をめぐる難題である。現在も「来る者」は拒んでいないが、部員数の制限があるらしく、いわゆる「退部勧告」に近いことは行われている。かつて、それこそ戦前でも、キャプテンが「右の者、退部とする」というようなことはあった。練習態度を問われたのだ。おっかない先輩が「お前、やる気あんのか。やめてしまえ」と怒鳴ることもありうる。気の弱い者ならそれで部を去るかもしれない。そこまでは仕方がない。しかし入部ほどなく、部として公式に、能力で切って捨てるのはフェアでない気がする。&#13;
「早稲田は無名校出身でも初心者でも迎え入れてくれる」と信じて受験勉強に励み、浪人も辞さず、いざ入ったらカットされる。カットするなら、少なくとも、広く全国の受験生に向けて「早稲田大学ラグビー部は入部後××日の時点での能力によって退部させます」と告げるべきだ。&#13;
もちろん、さまざまな事情のもたらす、悩んだ末の決断だとは信じられる。そこに、ひとつの理はあるはずだ。だから「未知の領域」なのである。「来る者は拒まず」の精神を持続し、なお１軍の戦績に影響のないような仕組みを考え抜いて実践する。&#13;
徹底したチャンピオンシップ思考（勝つ。それのみ！）と、個性を尊重したリベラリズム（入部も退部も強制されない。自分の思想や進路は誰の干渉も受けずに自由に決める。封建的上下関係の拒絶＝暴力否定・私用を後輩にさせぬ）の両立をさらに追求する。できればアカデミズムもあきらめない。この均衡をぎりぎりで保ってきたところが早稲田ラグビーの本当の価値なのだ。&#13;
最近、花園など高校ラグビーを取材すると、現場での話題は「推薦による大学進学」ばかりだ。あいつは、こうしてここに入った。こいつは、こうしてここに入れたい。それはそれでよいが、高校入学時から進路ができあがっているのは、なんだかシラける。冒頭に触れたように入学試験に課題・弊害はあろうとも、人間、いちどくらい受験勉強に励むのも悪くない。ラグビー部にも、浪人を経て入学の無名校出身者の居場所が、いつまでも、ちゃんとありますように。</summary>
    <content type="text">ざっと10年ほど前、早稲田大学の先生と「入学試験のあり方」について語り合った。そもそも受験事情にうとく、現在がどうかは知らないが、先生によれば、当時は「ワセダの入試問題は塾に通えば通うだけ解ける問題。必然的に浪人生有利で現役は不利」らしかった。&#13;
ところが、何かと批判される東京大学の一部の入試問題は「簡単な暗記が通用せず教養と論理構成力が試される」。若干、記憶があいまいだが、たとえば、まずファシズムに関する英文を読む。その後、日本語で、あえて「ファシズム擁護」の小論文を書かせる…というような。先生によれば「東大は常に批評されるから自己改革力は高い」そうだ。&#13;
その先生は、会議で「入試改革」を唱えた。もっと暗記の通用せぬ出題を。すると「おっしゃることはもっともだが、なにしろ早稲田は受験生の数が膨大なので採点が難しい」と退けられた。&#13;
純粋な先生は言った。&#13;
「受験生の数が多いから無理だ…。それでは普通の会社の会議と同じではないか。大学の教授というのは未知の問題を解決するために存在するはずなのに」&#13;
そこのくだりにジーンと感動した。&#13;
未知の領域に挑む、あるいは物理的に困難な問題を解決するのが本物の知性である。おそるべき数の「私はこう考える」という答案を、コンピュータ処理のみに頼らず迅速に採点するにはどうすればよいのか。そのことを考え抜くのが知性である。つくづく、そうなのだと思う。ラグビーもまた。&#13;
早稲田大学ラグビー部も「未知の領域」に挑むべきだ。かつての１面だけの土のグラウンドを練習場として、ほとんどがラグビー無名校出身者によって行われていた時代は終わり、見事な環境が整い、スポンサーも得られ、入試制度の改革で高校代表クラスの選手の比率も増した。たった11年前、筆者が早稲田のコーチを始めたシーズンの推薦入学者は計３人、高校代表はひとりのみだった。&#13;
少しも悪いことではない。ただし環境が変われば「未知の領域」は出現する。一例が伝統の「来る者は拒まず」をめぐる難題である。現在も「来る者」は拒んでいないが、部員数の制限があるらしく、いわゆる「退部勧告」に近いことは行われている。かつて、それこそ戦前でも、キャプテンが「右の者、退部とする」というようなことはあった。練習態度を問われたのだ。おっかない先輩が「お前、やる気あんのか。やめてしまえ」と怒鳴ることもありうる。気の弱い者ならそれで部を去るかもしれない。そこまでは仕方がない。しかし入部ほどなく、部として公式に、能力で切って捨てるのはフェアでない気がする。&#13;
「早稲田は無名校出身でも初心者でも迎え入れてくれる」と信じて受験勉強に励み、浪人も辞さず、いざ入ったらカットされる。カットするなら、少なくとも、広く全国の受験生に向けて「早稲田大学ラグビー部は入部後××日の時点での能力によって退部させます」と告げるべきだ。&#13;
もちろん、さまざまな事情のもたらす、悩んだ末の決断だとは信じられる。そこに、ひとつの理はあるはずだ。だから「未知の領域」なのである。「来る者は拒まず」の精神を持続し、なお１軍の戦績に影響のないような仕組みを考え抜いて実践する。&#13;
徹底したチャンピオンシップ思考（勝つ。それのみ！）と、個性を尊重したリベラリズム（入部も退部も強制されない。自分の思想や進路は誰の干渉も受けずに自由に決める。封建的上下関係の拒絶＝暴力否定・私用を後輩にさせぬ）の両立をさらに追求する。できればアカデミズムもあきらめない。この均衡をぎりぎりで保ってきたところが早稲田ラグビーの本当の価値なのだ。&#13;
最近、花園など高校ラグビーを取材すると、現場での話題は「推薦による大学進学」ばかりだ。あいつは、こうしてここに入った。こいつは、こうしてここに入れたい。それはそれでよいが、高校入学時から進路ができあがっているのは、なんだかシラける。冒頭に触れたように入学試験に課題・弊害はあろうとも、人間、いちどくらい受験勉強に励むのも悪くない。ラグビー部にも、浪人を経て入学の無名校出身者の居場所が、いつまでも、ちゃんとありますように。</content>
  </entry>
</feed>
