<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
  <id>http://www.wasedaclub.com/html/files/blog/rss/RSS_BLOG_9.rdf</id>
  <title><![CDATA[楕円球コラム　「楕円球は呼ぶ」]]></title>
  <updated>2012-01-19T10:47:34+09:00</updated>
  <link rel="self" href="http://www.wasedaclub.com/html/files/blog/rss/RSS_BLOG_9.rdf"/>
  <generator>RCMS</generator>
  <entry>
    <id>http://www.wasedaclub.com/soccer_school_journal/id=848</id>
    <title><![CDATA[Vol.105 「笛の話」]]></title>
    <updated>2012-01-17T11:40:00+09:00</updated>
    <link rel="alternate" href="http://www.wasedaclub.com/soccer_school_journal/id=848"/>
    <summary><![CDATA[
	大学選手権の決勝には「対照の妙」があった。なにしろ両校両ロックの身長の差が平均で16cmもあるのだ。もちろん帝京が大きく、天理が小さい。

	天理の健闘と奮闘については、すでに自明であり、久しぶりに、まったく久しぶりに「球さえ出れば」という興奮を覚えた。昔の（いい時の）ジャパンのようでもあった。そのスタイル、それを実行する意志と技巧と体力は「感動」ならぬ「感心」を誘った。SO、背番号10の立川理道は、間違いなく今季のラグビーの「ど真ん中」に位置する。存在がチケットを買わせる希少な例だ。

	関東大学対抗戦の帝京と早稲田の関係も、前者のパワーと遅攻、後者の展開と速攻を対照の妙ととらえられなくもなさそうだが、やはり本当ではない。
	かつてとは異なり、早稲田に高校時代の一流選手が集い、少なくとも1軍については豪華な布陣だ。相対的に「小」の側が、経歴においては「大」なので、かつて明治に挑んだころの「悲壮感」をファンの立場では感じにくい。

	天理のメンバー表には、体格でも経歴でも「大」はまれだ。立川理道くらいか。鶴来高校、川口高校、名張西高校なんて、ラグビー界では地味な出身校の者もいる。トンガからの留学生両CTB、アイセア・ハベア、トニシオ・バイフは効いているが、背は高くなく、ともに日本航空第二（石川）高校入学時に来日の「ホームグロウン（この国育ち）」であり、大学からの外国人留学生とは背景が異なる。その陣容でファイナル進出、あらためて小松節夫監督の手腕と膨大な努力を想像しなくてはならない。

	さて、対照の妙、大と小の激突の様相を大きく左右するのはレフェリングである。

	大きい側がスローな力攻めをする。そこには鍛えられた強さがある。帝京の重く高いのにサイズ頼みではないセットプレー、どんな選手でも体をトライラインに垂直に使えるブレイクダウンは、チーム、いやクラブ総体としての具体的な鍛錬と明確な思考の積み重ねである。そこにもまた膨大な努力はあった。

	つまり帝京は正当に力の遅攻を推し進める。強いからボールをキープできるし前進もできる。ただし力攻めというのは、相手とまともにぶつかるから、どうしても無理が生ずる。小さい側は耐えなくてはならないので、そこで無理をする。まあオフサイドぎりぎりの飛び出しのようなことである。そして、ここが興味深いのだが、大きい側、制圧を試みる側も、本来はラグビーのルールが想定していないと思われるほど、ゆっくりボールをキープしながら人の波をかきわけて前へ出るので、やはり抵抗を排除する過程では無理をする。かすかなオブストラクションやシーリングのようなことだ。無理とは反則の隣人だ。だからレフェリーは、攻守、大小、そのどちらにも反則ギリギリの領域を発見できてしまう。

	「大」と「小」、「遅」と「速」の対戦で、前者に一方的に試合が傾く場合は、おもに「抵抗の無理」がペナライズされる。もちろん反則は反則に過ぎないのだが、担当レフェリーの潜在意識で、無理に攻めるより、無理に守るほうの不正に神経が働く。反対に、後者、小さく速い側が抵抗できる例では、無理に攻めるほうにも不正はあるのだとセンサーが働く。

	こういう話を書くと誤解を受けがちなのだが、本コラム筆者は長くラグビーを見てきて、レフェリーが最初からどちらかに優位に笛を吹こうなどという不埒（ふらち）はないと信じられる。ただ、それぞれのレフェリーに潜在的な意識の違いはあるはずだ。モール、ラック、またそこからモール、観客からボールは見えない。あまりに長くもみ合って、小さなスペースでぶつかり合えば、どちらにも普通でないプレーは起こりうる。繰り返すが、私見では、ボールのキープそのものを目的とするようなスタイルというか戦法を競技規則は想定していないと考える。それだけにレフェリーその人の裁量が大きくなる。

	今季は、花園でも、大学でも、時間を使うスローなボールのキープに対して、しきりにレフェリーから「使おう」「横へ使おう」という声がかかった。大学選手権決勝もそうだった。昨年のファイナルでは、長い長いキープが認められ、しかも、そこへ体をぶつけるファイトが許されなかったので静止に近い時間帯があった。それに比べれば観客にとっては幸福だったが、さりとて「さあボールを使いなさい」がルールで明文化されているわけではなく、ゆえにレフェリーしだい、そうであるからこそレフェリーは大変なのだ。

	レフェリングに関しての議論の要諦は、本来、「現象か影響か」だった。いまでもライン攻撃など一般プレーのオブストラクション、またラインアウトの着地時のリフターの同じくオブストラクションなどについては「現象」だけで笛が鳴って、かわいそうだなと感じることがある。相手が競らず、体もすぐにはぶつけてこないようなノーコンテストのラインアウトでリフターが数cm出っ張ったところで、大勢どころか小さくも影響しまい。

	これからは「現象か影響か」だけでなく、遅い力攻めとそれをしのぐ立場での小さな反則、ことに攻める側のそれをどう解釈するかも議論となりそうだ。]]></summary>
    <content type="html"><![CDATA[<p>
	大学選手権の決勝には「対照の妙」があった。なにしろ両校両ロックの身長の差が平均で16cmもあるのだ。もちろん帝京が大きく、天理が小さい。</p>
<p>
	天理の健闘と奮闘については、すでに自明であり、久しぶりに、まったく久しぶりに「球さえ出れば」という興奮を覚えた。昔の（いい時の）ジャパンのようでもあった。そのスタイル、それを実行する意志と技巧と体力は「感動」ならぬ「感心」を誘った。SO、背番号10の立川理道は、間違いなく今季のラグビーの「ど真ん中」に位置する。存在がチケットを買わせる希少な例だ。</p>
<p>
	関東大学対抗戦の帝京と早稲田の関係も、前者のパワーと遅攻、後者の展開と速攻を対照の妙ととらえられなくもなさそうだが、やはり本当ではない。<br />
	かつてとは異なり、早稲田に高校時代の一流選手が集い、少なくとも1軍については豪華な布陣だ。相対的に「小」の側が、経歴においては「大」なので、かつて明治に挑んだころの「悲壮感」をファンの立場では感じにくい。</p>
<p>
	天理のメンバー表には、体格でも経歴でも「大」はまれだ。立川理道くらいか。鶴来高校、川口高校、名張西高校なんて、ラグビー界では地味な出身校の者もいる。トンガからの留学生両CTB、アイセア・ハベア、トニシオ・バイフは効いているが、背は高くなく、ともに日本航空第二（石川）高校入学時に来日の「ホームグロウン（この国育ち）」であり、大学からの外国人留学生とは背景が異なる。その陣容でファイナル進出、あらためて小松節夫監督の手腕と膨大な努力を想像しなくてはならない。</p>
<p>
	さて、対照の妙、大と小の激突の様相を大きく左右するのはレフェリングである。</p>
<p>
	大きい側がスローな力攻めをする。そこには鍛えられた強さがある。帝京の重く高いのにサイズ頼みではないセットプレー、どんな選手でも体をトライラインに垂直に使えるブレイクダウンは、チーム、いやクラブ総体としての具体的な鍛錬と明確な思考の積み重ねである。そこにもまた膨大な努力はあった。</p>
<p>
	つまり帝京は正当に力の遅攻を推し進める。強いからボールをキープできるし前進もできる。ただし力攻めというのは、相手とまともにぶつかるから、どうしても無理が生ずる。小さい側は耐えなくてはならないので、そこで無理をする。まあオフサイドぎりぎりの飛び出しのようなことである。そして、ここが興味深いのだが、大きい側、制圧を試みる側も、本来はラグビーのルールが想定していないと思われるほど、ゆっくりボールをキープしながら人の波をかきわけて前へ出るので、やはり抵抗を排除する過程では無理をする。かすかなオブストラクションやシーリングのようなことだ。無理とは反則の隣人だ。だからレフェリーは、攻守、大小、そのどちらにも反則ギリギリの領域を発見できてしまう。</p>
<p>
	「大」と「小」、「遅」と「速」の対戦で、前者に一方的に試合が傾く場合は、おもに「抵抗の無理」がペナライズされる。もちろん反則は反則に過ぎないのだが、担当レフェリーの潜在意識で、無理に攻めるより、無理に守るほうの不正に神経が働く。反対に、後者、小さく速い側が抵抗できる例では、無理に攻めるほうにも不正はあるのだとセンサーが働く。</p>
<p>
	こういう話を書くと誤解を受けがちなのだが、本コラム筆者は長くラグビーを見てきて、レフェリーが最初からどちらかに優位に笛を吹こうなどという不埒（ふらち）はないと信じられる。ただ、それぞれのレフェリーに潜在的な意識の違いはあるはずだ。モール、ラック、またそこからモール、観客からボールは見えない。あまりに長くもみ合って、小さなスペースでぶつかり合えば、どちらにも普通でないプレーは起こりうる。繰り返すが、私見では、ボールのキープそのものを目的とするようなスタイルというか戦法を競技規則は想定していないと考える。それだけにレフェリーその人の裁量が大きくなる。</p>
<p>
	今季は、花園でも、大学でも、時間を使うスローなボールのキープに対して、しきりにレフェリーから「使おう」「横へ使おう」という声がかかった。大学選手権決勝もそうだった。昨年のファイナルでは、長い長いキープが認められ、しかも、そこへ体をぶつけるファイトが許されなかったので静止に近い時間帯があった。それに比べれば観客にとっては幸福だったが、さりとて「さあボールを使いなさい」がルールで明文化されているわけではなく、ゆえにレフェリーしだい、そうであるからこそレフェリーは大変なのだ。</p>
<p>
	レフェリングに関しての議論の要諦は、本来、「現象か影響か」だった。いまでもライン攻撃など一般プレーのオブストラクション、またラインアウトの着地時のリフターの同じくオブストラクションなどについては「現象」だけで笛が鳴って、かわいそうだなと感じることがある。相手が競らず、体もすぐにはぶつけてこないようなノーコンテストのラインアウトでリフターが数cm出っ張ったところで、大勢どころか小さくも影響しまい。</p>
<p>
	これからは「現象か影響か」だけでなく、遅い力攻めとそれをしのぐ立場での小さな反則、ことに攻める側のそれをどう解釈するかも議論となりそうだ。</p>]]></content>
  </entry>
</feed>

