
■新艇命名の意味(坪内逍遥の命名文)
およそ速度の最もすぐれたるものを光となさば、如露亦如電の稲妻は、その代表の尤もなるものか。電信電話電車なんど、論より証拠の実例も多かる上に、呼び声の勇ましげなるを好ましからずやは。故に第一艇に名づけて「イナヅマ」という。
捷疾鬼という羅刹あり。仏入滅して金棺のうちに在りしに、鉄槌をふるってこれを開き、仏の左右の牙を撃落として盗み取り一息の間に四万二千里を走り、須弥山の半途まで逃れ去りしを、天の帝釈、大神通力をもって追いかけ、たちどころに仏牙を奪いかえしぬという説あり。韋駄天に関しても、似寄りたる言い伝えあり。いずれにせよ、韋駄天は仏説に見えた飛行最も神速なる守護神なり。すなわち人間の創造に上がりたる、最も迅速なるものの権化なれば、第二艇を名づけて「韋駄天」という。
仮名こそ違え「イナヅマ」と「韋駄天」とその頭音を同じうせる上は、第三艇またその例に則らざるべからずという謂もなけれど、ただ一つだけ外るること妙でなし。すなわち名づけてEROSとせば如何。EROSはギリシャ語、その音はイロス、或いはエロス。その訓は「愛」なり、「恋」なり、「色」なり、「思慕」なり。プレトーのいわゆる理想を思慕して向上し、その窮る所を知らざるもの是れなり。古来西人の神速を語るや、すなわち曰く
Quick as Thought
と、けだし人間のオモヒ即ち思念力、想像力ほど到達力の速やかなるものは無し。今万里の外に在りと思わば、身はよしや愛に在るも、心はすでにそこに在るなり。電光よりも速しと云わば云うべし。而して邦俗は曰く「惚れて通えば千里も一里」と、果たして然らば恋愛の念力ほど速力のいみじきもの世にあらんや。シェークスピヤもまた曰く
Haste me to know, That I, with wings as swift as meditation or the thought of
love, may sweep to my revenge.
「黙想の如く速やかに、若しくは恋の想いの如く速やかに」と東西、意を等しうす。イロスの速力疑うべからざるや。之を第三艇の名とす。
明治三十七年八月
逍 遥

