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ブログ 2006/1

Vol.10 「ハーバードからの手紙」[コラム・早稲田ローイング]

投稿日時:2006/01/27(金) 21:00

ボート漕ぐ者に「文武両道」はどこまで可能か。
彼らには眩しいほどの戦績がある。世界選手権金メダリスト、銀メダリスト。現役の米国代表メンバー。FISAワールドカップ銀メダリスト。全米学生選手権優勝者。
しかも彼らは世界最高レベルのボート選手にして、最高学府の学究の徒。

2004年10月31日。ワセダクラブの主催による「第1回ワセダレガッタ」。彼らはこの記念すべき第1回大会のゲスト「ハーバード&プリンストン・オールスターズ」。
ハーバード大、プリンストン大、両大学若手OBの選抜チームである。
但しOBとはいえ、彼等はみな現役選手だ。学業を続けていたり、仕事を持っていたり、アルバイトしていたりと様々だが、第一線の競技選手を続行中である。

彼らのこの大会への意気込みは本物だった。
日本のエイトのトップクルー、明治安田生命、そしてNTT東日本東京がエントリーしているのはもちろん、知っている。
「日本のチャンピオンクルーをぶっ倒してやる。勝つために来たんだ。」
大会4日前、10月27日に来日したその夜、ストロークのジョン・ワクター(現役の米国代表)は息まいていた。実際そのあと31日の大会まで、メンバーは最低でも1日2回の練習を精力的に繰り返していた。

い ざ本番のレース、決勝に難なく進むところまでは予想通りだったが、0.21秒差でNTT東日本東京に敗れ、準優勝。世界チャンプ、全米チャンプ経験者が並 んでいるのだから、もっと速いはずでは。そんな見方もないではない。しかし4日間という時間は、選抜チーム8人の呼吸を完全に合わせるには、やや足りな かったようだ。
オリンピック2回出場・世界の舞台を熟知する早稲田ボート部・岩畔前監督は言った。
「奴らはやっぱり凄いぜ。あと1週間練習してればとんでもなく速くなって、日本のクルーはどこも歯が立たなかっただろうな」

実は彼らメンバーの年齢層は幅広い。
最 年長はキャプテンのジェームス・ベイカー、35歳。最年少は現役の米国代表であるジョン・ワクター、22歳。メンバーは滞在中、早稲田ボート部の合宿所 で、その長身を折り曲げ座り、早稲田の現役選手と一緒に食事をとった。ひと目でわかる年齢の差がありながら、彼らは気さくさをまったく失わず、しかも陽気 で、気遣いや思いやりを随所に感じさせた。そこにはやはり「一流の人びと」の片鱗を、確実にみることができた。

彼らが滞在中、最も意気投合した人物。
それは誰かといえば(本コラムvol.7でも紹介した)「オジさん」こと早稲田ボート部合宿所の管理人・金刺正巳さんである。

金刺さんは英語の達人ではない。しかし33年間の学生相手の食堂経営で、留学生のハートもしっかり掴んできた経験と、自信がある。
「『もてなす心』っていうのは、万国共通なんだよネ」
オジさんの信念は揺るがない。笑顔と身振り手振り、カタコト英語で突進する。
そして何よりも、次々と出される山盛りのおいしい食事。メンバーはあっという間に「オジさん」の虜になり「オジさん!」「オジさん!」日本語で呼びかけ始める。
練習後、水辺から合宿所に向かって「オジさーん!」と叫ぶ声が聞こえることもあった。

金刺さんが驚いたのは当初、パンなど洋食中心のメニューを準備したのに、メンバーはもっぱら「もっと日本の食事を」と熱望したこと。ご飯に納豆、味噌汁、煮物、漬物などをがつがつと平らげた。「こればかりはまったく予想が外れたよ。」オジさんは苦笑した。

「オジさん、僕ら明日これを着て漕ぐことにしたよ」
レース前日。メンバーが全員、揃いのTシャツを着て金刺さんの前に並んでみせた。
そして、Tシャツの胸のプリントを得意げに指さす。そこには、
「POWERED BY おじさん」
金刺さんは仰天する。メンバーは金刺さんのファンになるあまり、本番で着るユニフォームに、そう刷り込んでしまったのである。そして、
「オジさんの分もあるんだ。着てくれよ」
Tシャツを着せられた金刺さんは、合宿所の前庭で、彼らに軽々と担ぎ上げられた。

「それにしても、あのTシャツは一体いつ、どうやって準備したんだろうネ」
大会後しばらく経って、金刺さんの謎は解ける。ちゃんと目撃者がいた。早稲田ボート部OG、渡邊いくみ(平14年卒)。メンバーが揃って戸田のボートショップを訪ね、長身をかがめて身振り手振り、それは必死の注文だったと。
「そういえば何だか『お・じ・さ・ん』って、そこだけは日本語で」

レース後、集まってきた子どもたちと気さくに写真を撮り合う彼らの姿があった。
彼らを見たすべての人は、同じ印象を受けただろう。
「最高学府の学究の徒」に連想される気難しさは皆無。とにかく陽気。ボートを、人生を、心の底から楽しんでいる感じがする。でも、明るさの中のふとした表情にも明らかに、一朝一夕ではまとえぬ知性と気品が漂う。

「カルチャーショックでした」

メンバーと1週間共に過ごし、レース後も戸田の寿司屋に、夜の六本木にと「勝負」を挑んできた早稲田ボート部の選手たちは言う。彼らの普段は、底抜けに愉快。
「でもオールを握った瞬間、スイッチが切り替わる」
ボートを漕いでいるときは、それこそ「狂気」「殺気」という言葉がぴったりなほど激しく、全身全霊をオールに叩きつける。ところが、ひとたび練習が終わり、艇が岸に着くや
「オジさーん!」もう誰かが素っ頓狂な叫び声をあげている。
究極のONとOFF。これが“究極の文武両道”を成し遂げるエッセンスだろうか。

彼らはレースの翌日、早稲田の合宿所を去るとき、オジさんに1枚の手紙を託した。
「To everyone in the Waseda Rowing Club」
あえて原文のまま、ここに掲載する。

「To everyone in the Waseda Rowing Club」


レース後1週間、11月8日。
「ワ セダレガッタ開催」の記事が「FISA WORLD ROWING.com」(世界ボート連盟ホームページ)のトップを飾る。世界中のボート愛好家が絶えずチェックするサイトだが、日本ボート界の出来事が掲 載されることは極めて稀である。来日メンバーの一人、クリス・カーバー(世界選手権金メダル、FISAワールドカップ銀メダル、米国代表8回)が寄稿して くれたのである。クリスのお陰でワセダレガッタは、世界中のボート愛好家の関心事となった。

来年2005年は「第1回早慶レガッタ」の開催から、ちょうど100年目となる。
第1回ワセダレガッタの日「2004年10月31日」が、いつしか、第1回早慶レガッタの日(1905年5月8日)に匹敵する重みをもつ日となる、それも夢ではない。

Vol.11 「はじめに情熱ありき」[コラム・早稲田ローイング]

投稿日時:2006/01/27(金) 21:00

「はじめに情熱ありき」
1905(明治38)年5月8日「第1回早慶レガッタ」を敢行した人びと。
今年「早慶レガッタ」は100年目を迎える。彼らの火のごとき情熱があればこそ、その営みは100年経った今も脈々と続いているのである。

そ のころ隅田川の水は澄んでいた。通行人が大金入りの財布を誤って川に落としたが、財布が水の中にはっきり見えた。ある部員が裸で水に潜って拾ってやり、返 礼に中身の半分をせしめたとも。桜の季節、土手は花のトンネルで、向島側の岸には長命寺の桜餅に言問団子、浅草側には富豪の邸宅の建ち並ぶ風情は、広重の 風景画を思わせた。

のちの好敵手は、13年も先に漕ぎ始めていた。
慶應義塾は端艇(ボート)部を1889(明治22)年に創部。早稲田が正式に創部を認められたのは1902(明治35)年。しかし早稲田の艇は中古艇、艇庫すらなく慶應艇庫に間借りする。慶應義塾は好敵手どころか、恩義をくれる大切な先輩だったのである。

「血気盛んな新米」早稲田は創部の翌年、早くも慶應に挑戦を申し入れる。
新米の無鉄砲な申し出に先輩は呆れた。あっさり断る。
その秋、野球部はひと足先に「第1回早慶戦」を開催。以来「秋と春」手合わせすることを決め、ここに伝統の早慶戦の歴史が始まっていた。

早稲田端艇部は秋にも再度申し入れる。また断る慶應。しかし早稲田、たやすくは引き下がらない。慶應を認めさせるために、まずは立派な部体制を創ろうではないか。


明治37年の部員たち


当時の隅田川とボート

1904(明治37)年、初代艇庫を竣工。同年秋、待望の新造艇が3艇できあがる。
この記念すべき初代艇、艇名はずば抜けて格調高くありたい。名付け親にふさわしい人物。部員は逡巡しつつも「思いつく限り最高の人選」を押し通す。
部員・鈴木治三郎は依頼状を懐に、ある巨人の邸宅の門前に立っていた。
その巨人とは、早稲田草創期三大教授の一人にして、当時のベストセラー「小説神髄」「当世書生気質」を著した近代日本文学の父・坪内逍遥。その人である。

巨人、あっけなく快諾。黙って筆を走らせる。暑い日の午後の邸宅、鈴木は直筆の「命名書」を直に受けとる。手渡しながら巨人は言った。
「レースするボートだから、速くなくちゃアいけないだろう。だからこう命名したのだ」
3艇の名は「イナヅマ」「韋駄天」「イロス」。文豪が筆をふるった命名書は、格調高くも温かく、名付け親の人間味があふれていた。今日読んでもなお味わい深い。

1905(明治38)年1月。慶應に三度目となる挑戦状を届ける。諸々努力のかいあって今度は快諾。早稲田は認められたのだ。但しレースの距離は慶應が1000m、早稲田が1500mを主張し両校相譲らず。間をとって「1250m」で決着した。

約束はできた。しかし難問が山積していた。初めての試みには予算も何もない。
部員・深澤政介と鈴木治三郎は交渉に向かう。相手は早大体育部長、安部磯雄教授。
やはり安部は費用の捻出に問題ありと大会の開催を認めず、交渉は決裂。
ここで深澤と鈴木、窓の外に向かい「学生集まれ」と叫ぶ。満を持して待ち構えていた部員二十数名が一気に押し寄せる。
社会主義研究の第一人者として鳴る安部も、さすがに度肝を抜かれる。

「この早慶対校競漕は早大五千の学徒の意気を満天下に高揚する絶好の機会であると信ずるが故に、枝葉末節の議論にとらわれることなく、同情あるご指導を」
部員の情熱に大教授は折れた。
「ただし」費用の半分を寄付金で賄うことが条件だった。

大学の教室、講義が終わるや否や、部員たちがどかどかと教壇に駆け上がる。
「来たる5月7日の早慶対校競漕は、早稲田健児の面目にかけて勝たねばならない。それには全学一体となることが必要だ。諸君の愛校心に訴え、ここに協力をお願いしたい」
角帽を募金箱代わりに差し出してまわる。大学近辺の商店にも頭を下げてまわる。彼らの気迫に圧されてか、まずまずの資金が集まった。

さあ、これで舞台は整った。
ところが5月7日は大降りの雨。一同がっくりするが、気を取り直し翌日に延期。
1905(明治38)年5月8日。曇天ながら、遂にその時はやってきた。
土手の応援、下馬評ならぬ「土手評」は「断然、経験に勝る慶應が優勢」

スタートは吾妻橋上流、ビール会社前。早稲田5番手、岩田豊之助の手記が克明に語る(漢字・かな遣い一部改変)。

「午後4時半(レース1時間前)となるや、われら一同冷水摩擦を行い、服装を整え、心気全く落着き、静かに出艇の迎えを待てり」
「われら端艇部、興廃の別かるる重大なレースなれば、レースに臨みいかに胸の騒ぐことかと常より案じおりしに、想像とはまったく反対にて、何ら平常と異なるものを感ぜざりしは嬉しかりき(中略)。余はスタートにては如何にしても抜かれるものと覚悟せり」

ス タートで飛び出したのは評判通り慶應。するすると1艇身のリード。早稲田は岩田の言葉の通り平常心で、ゆったり確実に漕ぐ。じりじりと差を詰める。言問橋 上流では遂に並び、現在の桜橋付近では逆に1艇身リードとなる。慶應コックス笹田は絶体絶命のこの場面、立ちあがってメンバーを叱咤したとの証言がある。

墨堤は歓声の嵐に覆われて、興奮のるつぼと化す。
「敵も死に物狂いの力漕により、2シートほど追いつかれしも、結局1艇身1/2の差にて栄冠はわれらに帰せるは無上の喜びなり」
「無数の応援船はわが艇の周囲に集まり、万歳を叫ぶ声、引きも切らず、その中を漕ぎ抜け桟橋に上がり、応援団に擁せられ、艇庫楼上に昇りて優勝旗を授与さる」

新興早稲田の勢いが、先駆者慶應の熟練をのみこんだ。
タイムは不詳。測定係が興奮のあまり時計を押し忘れたとも。それほど、とてつもない熱狂に沸いたのである。祝杯に酔った早稲田の学生たちは夜遅くまで土手の上を練り歩き、その中には艇の名付け親・坪内逍遥の喜ぶ姿もあった。

勝負は番狂わせの興奮で始まった。その後1世紀にわたり観る者を酔わせる、両校の真剣勝負の奥深さ、醸す妙味を象徴するかのように。

翌1906(明治39)年。早慶戦野球はいっそう盛り上がり、両校の対抗意識も強くなっていく。やがて警察が出動するほどの不穏な空気も流れ始めていた。

(敬称略)


草創期の応援風景


現在の応援風景

■今年の早慶レガッタ(100周年記念大会)は4月17日(日)隅田川で開催されます

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