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Vol.17 「裏庭の実験室~追悼・塚本公樹さん~」[コラム・早稲田ローイング]

投稿日時:2006/07/12(水) 19:48

その人の生きた人生、そのものに違いない品がここにある。
ひとつは深紅のブレザー。胸には五輪の刺繍がある。
もうひとつは、えび茶色の木製オール。
持ち主はその情熱とこの二品を後輩に託し、平成16年8月、この世を去った。

故・塚本公樹さん(昭和40年卒)。東京オリンピック・ボート日本代表。
彼はボート競技界のみならず、ビジネスの世界でも「創造と鍛錬」の早稲田スピリットそのままで全力疾走した。

中学時代。ニュース映画で見た早慶レガッタに感動する。しかし入学した長野高校にはボート部がない。「自分は早稲田でボートをやる。その準備トレーニングとして」山岳部でキスリングを担ぎ、日本アルプスを駆けて足腰を鍛える。
昭和36年春、早大政経学部の合格発表を見たその足で、早大艇庫へ直行する。

175cm、 72kg。身体は決して大きくなく、器用でもない。しかし山登りで鍛えた粘り強さと、天与のリーダーシップで、早大ボート部主将に推される。そして昭和 39年10月10日、東京五輪開会式。塚本は、深紅のブレザーで国立競技場に立っていた。テレビ実況の北出清五郎アナウンサーが「世界中の青空を全部東京 に持ってきてしまったような…」と思わず口にした、あの日の晴れやかな光を全身に浴びた。


東京五輪代表 右から5人目が塚本



五輪代表フォア 左から2人目が塚本

しかし、五輪本番はベストの漕ぎに程遠かった。
なぜか。重圧に疲れ果てたのか。正直、達成感のかけらもなかった。
このままでは終われない。塚本は悩んだ末、社会人となってからも第一線でボートを続けることを決意する。当時、社会人が働きながら競技を続けることはほぼ 絶無で、企業からの理解もなかった。いや、だからこそ挑戦するのである。五輪の重圧に勝てなかった無念を“仕事との両立”という重圧に勝って晴らしてみせ る。

同期の細谷進と戸田ボートコース近くに部屋を借り、朝4時30分起床で練習、9時に会社に駆け込みフル勤務する。想像以上に苦しかったが、やり抜いた。
そして報われる。昭和40年、細谷・塚本のダブルスカルは全日本選手権に優勝する。

翌41年、今度は佐藤武宣(昭和41年卒)と組み、またダブルスカルで世界選手権の日本代表を狙うも、選考会で中大に敗れる。
このレースのゴール後に塚本はようやく「ボートをやり切った」感慨にたどりつく。

そのあと。塚本はとり憑かれたようにビジネスの世界での全力疾走を始める。
塚本は化学メーカーの営業マン。担当は高機能樹脂(エポキシ、ウレタン)の販売である。
「ボートばかりやっていた奴に、仕事ができるのか」
そんな揶揄が聞こえて、負けじ魂に火がつく。

高機能樹脂の商品種類は数千。商品知識を徹底的に頭に叩き込む。
ボートに時間を費やしていた分、確かにハンディはある。ただ塚本は、ボートもそうだが、これと思い定めると、徹底的に極め尽くさないと気がすまないのである。

勉強していくうちに、自社の研究者の出す答えに納得がいかなくなる。
こんな製品も、あんな製品も、作れるし、売れるはずだ。歯がゆさ高じて、塚本はとうとう自宅の裏庭に“実験室”を建て、帰宅すると深夜まで研究や試作に没頭する。

やがて研究者との議論も対等となった。
得意先で塚本は、複雑な化学式、ベンゼン環をさらさらと黒板に書き、難解な術語も流暢に使いこなす。「あなた、出身大学は」「早稲田の政経、政治学科です」
相手は一瞬沈黙し、混乱する。塚本の話す内容は理系出身としか思えないからである。この混乱ぶりを見るのが痛快だった。

高機能樹脂の世界で「Koju」の名前は海を越えて知られるようになる。
ただ、海外での会議の席では「ボート競技のオリンピック・アスリート」と紹介される。
大きな歓声が上がり、拍手が沸き起こる。握手を求めにくる。
「するとねえ、難しい商談も途端にスムーズに進むんだ」
スポーツ選手への尊敬と信頼。その文化を塚本は海外で初めて実感できたのだった。

平成15年8月。その誰よりもエネルギッシュな人が倒れた。
そして平成16年8月29日…。

実は亡くなる前の7月17日。塚本は医師に外出を許されていた。
「どこか行きたいところは」
塚本が望んだのは、戸田ボートコースだった。
塚本はかつて己の意地を賭けて滑った水面を、じっと見つめていた。

仕事で元気に世界中を飛び回っていたころ。縁あって仕事でも接点の多かった筆者。
塚本は30歳近く下の後輩と顔を合わせるや、
「アンタ最近、仕事面白くないんだろう」
ひと目で見抜くのである。
成田空港から戻ったばかり、疲れているはずのその身体で、筆者を呑み屋に誘う。

「エ イトを漕いでいるとき。ラクしたいと思って押しを弱めるだろう。そうするとリズムに乗れなくなって、よけい苦しくなるんだ。苦しいときは、覚悟を決めて、 まず目の前の一本を強く押すんだ。すると少しずつリズムに乗ってきて、身体が軽くなる。『苦しいけど楽しい』爽快感が生まれてくる。ボートも仕事も同じ だ。仕事が面白くないのは、まだアンタが全力を出していない証拠なんだよ」

9月2日。告別式での、早苗夫人のご挨拶。
「…塚本は、62年間の人生を、猛ダッシュで、駆け抜け、アテネオリンピックの最終日に、ゴールのテープを切りました。そんな彼に、私は『おめでとう』って言って、金メダルをかけてあげたい…。
塚本は、申しておりました。『我が人生に、悔いなし』と」

(敬称略)

故 塚本 公樹さん (昭和40年早大卒)

昭和39年 東京オリンピック ボート代表 (舵手なしフォア 2番)
昭和47年 史上最年少29歳で早大ボート部監督に就任
平成16年8月29日 逝去 享年62歳

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