栄光と苦難の85年 早稲田ラグビー部が創立されたのは大正7年11月7日だった。このころ、日本には慶応、京都三高(京大)、同志社しかなく、相互に交流試合をするにとどまっていた。創設者で、初代の主将でもある井上成意は「野球の早慶戦のような対抗戦が実現できれば」との思いで大学関係者を説いて回った。
早稲田の第一戦は創立二ヵ月後に、どろんこの戸塚グランドで三高との間で行われたが、0-15で敗れた。大正11年から早慶戦が始まると、早稲田は赤黒のジャージーを着用した。だが、打倒・慶応の悲願を果たすことが出来たのは、二ヵ月半の豪州遠征を終えた昭和2年だった。
この遠征で後の早稲田のお家業となる「揺さぶり」戦法の基礎を修得し、早いテンポの展開ラグビーを駆使して宿敵慶応を打倒したものの、新たに同志社と明治に行く手を阻まれ、全国優勝を実現するまでなお5年の歳月を費やした。
この頃から対抗戦は早明時代となり、早稲田は昭和11年、12年に20連勝を成し遂げて連覇、さらに16年、17年にも連続優勝し第1期黄金時代を築いた。